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一神教の逆説




清瀬 六朗



 

  押井守のいくつかの作品には『聖書』(以下『 』を略す)からの引用が用いられる。この文章は、その聖書と、聖書を聖典とするキリスト教について、読みかじった知識や考えていることを漫然と綴ったものである。

 なお、この文章は、「押井守作品を理解するためには聖書に関する知識が不可欠だ」という立場で書いたものではない。もう少し具体的にいえば、たとえば、「この文章を読めば、『機動警察パトレイバー』劇場版の帆場の犯罪より深く理解できる」という文章ではない。そのような解説を書くのは私の意図ではないし、だいいち、私には不可能である。それに、「押井守作品を理解する」のは、各人各様に理解すればよいのであって、それを理解するのに特定の知識や教養が必要というわけでもあるまい。せいぜい、普通に映画を鑑賞するための常識があれば、あとは自分の好きなように理解すればよいのである。

 

 1.

 

 聖書の神は唯一であることを特徴としている。

 現在、世界でもっとも多くの信者を有する宗教はキリスト教であり、それに次ぐのがイスラム教であるという。キリスト教・イスラム教ともに、唯一の神を信仰する一神教である。だから「唯一の神を崇拝する」というかたちの宗教は現代世界では多数の信者を持っている。

 では、古くから一神教が世界的に有力だったかというと、そうではない。逆に、たとえば「八百万(やおよろず)の神」の存在を認めるような多神教のほうが一般的であり、一神教のほうがかなり特殊な宗教であった。

 一神教はユダヤ教に起源を持つ。キリスト教は、そのユダヤ教の一派として成立し、そこから別の宗教に発展した。だから、ユダヤ教とキリスト教では、宗教は違っても、信仰しているのは同じ神である。さらに、イスラム教のアッラー(アラー)は、その名の起源をたどればアラビアの多神教のなかの最高神であったが、イスラム教ではそれをユダヤ教・キリスト教の神と同じ神であると位置づけ直して信仰している。旧約聖書に現れる神も、キリスト教の神も、イスラム教で信仰するアッラーにほかならないと解するのだ。

 このように、現在、世界で多数の信者を持つ一神教は、もとをたどれば、ユダヤ教の唯一神の信仰に行き着くのである。

 しかも、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教のすべてが、地中海東海岸、エジプト、現在のイラクの平原地帯、イランの高原地帯、トルコの高原地帯に囲まれた地域またはその周辺に起源を持つ。ユダヤ教は現在のパレスチナとその周辺、キリスト教はパレスチナの一部、イスラム教はアラビア半島で興った宗教である。一神教は現在では世界宗教の多数派であっても、その起源は比較的限られた地域にあるのだ。

 なぜ、その一地域の特殊な信仰に過ぎなかった一神教が、世界宗教の多数派の地位を占めるにいたったのだろうか。

 次のような説明が可能かも知れない。

 各地方や各民族の固有の神は、その地方の独特の風土や文化の制約を受けているので、他の地方や民族には受け入れにくかった。それに対して、一神教の神は、唯一神であり、役割や神々の複雑な階層秩序によってその性格が限定されていない。そのぶん、一神教の神が普遍的であり、土俗的な各地方・各民族の神を抑えて世界で信仰されるようになったのだ。

 しかし、このような説明は、歴史に照らしてみると、必ずしも事実を説明し尽くしてはいない。

 ある地方やある民族の持つ多神教の神は、風土や文化の違う民族でも理解可能であり、信仰することも可能である。現に、日本では、インド起源の仏教の神々が信仰されている。帝釈天は柴又地方の神ではないし、鬼子母神も入谷地方の神ではない。どちらも遠いインドの神であるが、日本の善男善女は帝釈天にお参りするためにインドに行くよりは柴又に行くし、鬼子母神にお参りするならばインドよりは入谷に行くだろう。

 また、よく知られているように、ローマでは、最高神ジュピター(英語読み)はギリシアのゼウスにあたり、美の女神ヴィーナスはアフロディテにあたり、戦争の神マーズはアレスにあたる……という「読み替え」によってその神を信仰していた。とくにギリシアの神々は高度の「互換性」を有していたようだ。各地の地方の神や民族の神とギリシアの神との「読み替え」は、エジプトや現在のイラク地方にまで及んでいる。たとえば、ローマでヴィーナスに「読み替え」られたアフロディテは、中東ではアシュタロテやイシュタルに「読み替え」られた。

 では、一神教がこのように世界に広まった原因は、「普遍性」のほかに何があるのか。

 おそらく、その「一神教としての普遍性」よりも重要だったのは、政治権力との結合と、軍事力によるバックアップである。キリスト教が地中海・ヨーロッパ世界に広まったのは、ローマ帝国やフランク王国など、地中海・ヨーロッパ世界の有力な政治権力と結びついたからである。イスラム教は政教不可分の原則をとっており、イスラム教団自体が征服戦争を経て中央アジアから地中海世界にいたる広い範囲に「帝国」を樹立した。さらに、キリスト教がアジアに広まったのは、ポルトガルを初めとするヨーロッパ列強のアジア征服を契機とする。むろん、政治権力と関係なく、あるいは政治権力に対抗して一神教が広められた例がないわけではない。しかし、拡大地域の大きさから見れば、政治権力やそれをバックアップする軍事力と結合したときに、一神教は飛躍的な発展を遂げてきたのである。

 ある事件を、ローマ帝国による征服とか、トルコ系の何々王朝による征服とかいうと、とても血なまぐさい印象を与える。しかし、同じ事件を、「その地域にキリスト教が伝播した」とか「イスラム教への改宗が進んだ」とか表現すれば、軍事的征服や政治の駆け引きは、無視されないにしても後景に退く。政治の駆け引きや軍事的征服など、きわめて世俗的なものごとでも、その説明に「神」を持ち出せば、その世俗のなまぐささは隠蔽されてしまう。逆に、13世紀のチンギス・ハン(ジンギスカン)とその子孫たちの大モンゴル帝国は、「ユーラシア」の東でも西でも、後の歴史のなかで長らく「野蛮な征服者」という印象を持たれつづけた。モンゴルは特定の宗教を押しつけず、かえって、帝国の東ではチベット仏教、中央以西ではイスラム教と現地の宗教を受け入れていった。そのため、その軍事的征服を宗教によって隠蔽することができなかったのだ。

 神とは人間の暴力的活動を隠蔽するための装置なのだろうか。

 

 

2.

 

 聖書の神の名はヤハウェ(またはヤーヴェ)という。これは「存在する」という意味のことばを起源とするらしい。旧約聖書のなかでも、神が自分を「あるという者」だと説明している部分がある。観念的な名―私のような非ユダヤ教徒にして非キリスト教徒の感覚からすれば、観念によって作り出されたことをうかがわせるような名である。

 なお、文語訳聖書などでは神の名を「エホバ」としているが、これは日本語でいう「主」に相当することばであり、旧約聖書の神の名そのものではない。

 このヤハウェを信仰したのは古代のイスラエルの民である。もともと遊牧または流浪の民族だったようである。人類史の早い段階から都市文明・農耕文明を発展させてきたエジプトから中東にかけての地域では、その「文明」の仲間入りするのが後れた民族だったわけである。

 古代のイスラエルの民が今日のパレスチナに住み着いたときにはすでに先住民がいた。イスラエルの民はその先住民を征服して住み着いたのである。その過程は旧約聖書の「ヨシュア記」を中心とする部分に記録されている。

 イスラエルの民の定住の大きなきっかけとなったのが、モーセに率いられた集団がエジプトを脱出した「出エジプト」事件である。旧約聖書によれば、「出エジプト」より前の人間も神の存在は知っており、信心深い者は神のことばに従って生きていたことになっている。けれども、神が人間にどのようなことを望んでいるかということは、人間すべてにわかるようなかたちで開示されてはいなかった。「出エジプト」の際に、モーセは神から律法を授かった。その大原則として知られるのが「十戒」である。しかし、モーセが神から授かったのは簡単な「十戒」だけではない。定住民族として、また、征服民族として生きていくための細かい決まりが延々と述べられている。モーセの時代以前について記した「モーセ五書」の多くの部分が、この「細かい決まり」の記述に当てられている。

 神を信ずる者にとっては、「律法」と呼ばれる「細かい決まり」こそは神が与え賜うたたものである。従って、神を信ずる以上、律法は守らなければならないし、守らなければ制裁を受けなければならない。法を破ることは、神を敬わなかったことになるからである。

 しかし、外から見れば、おそらくこの関係は逆だ。遊牧・流浪の生活から、征服者としての定住生活へと転ずる過程で、生活の規律を一新しなければならなくなった。周囲を「敵」に囲まれた「出エジプト」の状況なかでは、その生活の規律を共同体にいち早く定着させる必要があった。そのために、イスラエルの民の共同体が共同で信仰できる唯一の神の存在が必要になったのである。

 それまでのイスラエルの民がそれぞれ別々の神を信じていたことは、モーセが律法を授けられる場面の聖書の記述から知ることができる。そういう状況の下で、「共同で信仰できる神」として特定の神の名を用いれば、共同体内部で、それまでその神を信仰していた集団と信仰してこなかった集団とのあいだに不公平が生じることになる。それを避けるために、きわめて抽象的な「存在する」という名の神の存在が要請されたのである。

 一神教の神の存在は、じつは、共同体の規律、つまり共同体の「法」とも密接に関連していた。共同体の規律―すなわち「法」が存在するから、共同体の秩序は保たれる。しかし、そのためには、共同体に属する大多数の人間が「法を守らなければならない」という意識を持たなければならない。そのためには、「法」は、「ある個人や少数者の集団が作ったものだ」ということを隠蔽し、一般の人間を超えた権威に由来することにしなければならない。法が法として存在するために―さらに一般化すれば、秩序が秩序として存在するために、神の存在が必要となったのである。

 

 

3.

 

 したがって、こうして生み出された古代ユダヤ教での神と人の世との関係は、比較的単純で、明瞭である。人が十戒や律法などの神の掟に則って生きれば安らかに生きることができ、神の掟にそむけば人間に苦難が課せられる。もし共同体全体が神の掟にそむけば、その共同体全体が厳しい試練に直面することになる。基本的なルールはそれだけだ。

 しかし、古代イスラエルの民の共同体の命運も、その神を信仰しない者から見れば、神の掟を守っていたかどうかよりも、政治の安定性と国際環境によって決定される。地中海と、エジプトと、現在のトルコ方面の山岳地帯と、現在のイラクの平原地帯、そしてその東にはペルシア高原―それぞれ勢力が割拠するそのちょうどまんなかに国をつくっているのだから、古代イスラエルの民の共同体の命運は国際環境によって大きく左右されてきた。

 そうなると、逆に、説明が必要になってくる。「隣国からの圧迫でイスラエルの民の共同体が苦難に陥っている」という現実があり、そこから、「ではイスラエルの民はどういう点で神の掟にそむいたのか」という探索が始まるわけだ。

 唐突なたとえであることを承知で例を挙げると、コンピューターのトラブルの解決のようなものである。コンピューターのトラブルの場合、確かにソフトやハードに欠陥があってトラブルが発生する。しかし、トラブルが実際に発生するまで、その欠陥があること自体が隠蔽されている。トラブルが発生してから、さまざまなトラブルの要因を推測して解決策を試行し、トラブルの原因となった欠陥を突き止めるのである。もちろん、欠陥を根本までさかのぼって突き止められないことも多いし(一般ユーザーの場合、そのほうが普通だろう)、突き止められたとしても対症療法で解決するしかないこともあるだろう。

 しかし、神の与え給うた人間の世のシステムに欠陥があろうはずがない。だからトラブルの原因は、ユーザーである人間の側にあると考えなければならない。しかし、そのどこに誤りがあったのかは容易に突き止めることができない。そのため、神の作り給うたシステムに通じたエンジニアが必要とされる。それが旧約聖書の預言者である。

 もちろん、神の作り給うたシステムに通じているかどうかは、一般ユーザーにはなかなかわからない。だから、システムトラブルを解決するんだとか、システムの画期的なヴァージョンアップだとかいって、じつはウィルスをばらまく悪質エンジニアが出現する可能性もある。偽預言者である。

 モーセが律法を「授かった」段階では、イスラエルの民は、遊牧・流浪の生活から、定住者・征服者としての生活へと生活を刷新する過程だった。その律法は、新しい生活を規律するために「授け」られた。だが、その新しい生活が普通の生活になってしまうと、法の役割は変化してくる。法そのものは変わらないのに、いや、変わらないからこそ、新しい生活を創造するための法だったものが、現存する生活を保守するための法へとその性格を変えてしまうのである。感覚的な表現をするなら、法は、新しい生活を始める勇気を鼓舞するためのものから、現在の生活を守るために人びとを枠のなかに押しこめる息苦しいものに変化するのだ。しかも、生活そのものは、そのときどきの社会のあり方に応じて変化するし、社会も人びとの生活に応じて変化するから、そのうちに、昔に「与えられた」法が具体的に何を規律しているのかわからなくなってしまう。ふたたびコンピューターのシステムの例でいうと、部分的にマイナーなヴァージョンアップを積み重ねた結果、だれにもわけがわからないシステムになってしまったようなものである。

 「神の掟に従えば祝福され、神の掟を破れば苦難を課される」―このシステムは単純明快である。単純明快だからこそ、その「神の掟」が何なのかがわからなくなると、たちまち機能不全に陥る。「預言者」というエンジニアの存在が不可欠になる。ところが、一般ユーザーには、その「預言者」が真正の預言者なのか偽預言者なのか、判別する手段がない。もちろん、自称「預言者」のいうことに従ってみて、よい結果が出れば真正の預言者、悪い結果が出れば偽預言者ということにはなる。つまり結果が出てみればわかるのだ。しかし、システムが崩壊してからウィルスをばらまかれたことを探知しても基本的に手遅れである。

 イスラエルの民の共同体が王国というかたちで繁栄を迎え、やがてそれが分裂し、滅亡の危機に瀕する。そのなかで、イスラエルの民の共同体は預言者たちの時代を迎える。旧約聖書は、イスラエルの民が王国を形成する過程から、それが分裂し、衰退していく過程を叙述したあとに、預言者たちの書を載せる。とくに預言者の書が集中して掲載されているのは、イスラエルの民の国が最終的に滅亡し、イスラエルの民がバビロニアの首都であるバビロンに移住させられた時期―いわゆるバビロン捕囚の時期のことだ。真正の預言者の書のなかには、また偽の預言者も登場し、両者の角逐が描かれる。

 なお、このバビロニアは、ハムラビ法典で有名な古いバビロニアではなく、「新バビロニア」と呼ばれている王国である。バビロニアは、ペルシア高原に興った新興のペルシア王国(アケメネス朝)によって滅ぼされ、イスラエルの民も解放されてもと住んでいた土地に戻ることを許された。

 このあたりは、旧約聖書(いわゆる「続編」を除く)の最後のほうにあたっていて、短い預言者の書が並んでいるだけである。しかし、実際には、この時期に、モーセの律法の宗教が、のちにユダヤ教として伝わるようなかたちに仕上げられたと考えられている。新約聖書にも出てくるエルサレムの神殿は、このバビロン捕囚後に造られたものだ。バビロン捕囚からの解放を期に、信仰と法が再確認され、再確立された。苦難からの脱却と、新しい生活の創造への決意の時期―バビロン捕囚解放の時期は、「ユダヤ人」と呼ばれるようになるイスラエルの民にとって、いわば第二の「出エジプト」の時期だったのである。今回は、ペルシア王国という大帝国の存在があってはじめて可能だったユダヤ人の「解放」であるが、エルサレムの神殿を中心とする旧約聖書の叙述のなかで、そのことはやはり後景に追いやられている。

 「出エジプト」からバビロン捕囚までの時期に、古代イスラエルの民は、苦難からの脱出、新しい信仰と法のもとでの新しい生活の創造、繁栄、それと裏腹に進んだ信仰と法と生活の乖離、衰退、滅亡という共同体のサイクルをいったんたどり終えた。バビロン捕囚からの解放によって、古代のユダヤ人は、再びそのサイクルを最初からたどり始める。しかし、そのサイクルは、ギリシアのヘレニズム帝国、つづいて、それを受け継いだローマ帝国の進出で、再び終わりへと向かって進み始めた。

 

 

4.

 

 この第二のサイクルが、旧約聖書に叙述された時代と大きく違っているのは、ユダヤ人を大きな「国際化」の波が襲ったことである。この時期に、古代パレスチナ地方の主導権を握ったのは、それまで優勢だったイラク・ペルシア高原方面の文明でも、エジプト方面の文明でもなかった。地中海と、現在のトルコ方面から影響を及ぼしてきたギリシア文明の影響だったのである。ギリシア勢力自体は、すぐに、ギリシア本国に近い地域を支配するマケドニア(アンティゴノス朝)、中東を支配するシリア(セレウコス朝)、それにエジプト(プトレマイオス朝)に分裂した。しかし、アレクサンダー大王(アレクサンドロス)の征服はこれらの地域を「国際化」していた。いわゆる「ヘレニズム」の世界である。このヘレニズム世界で支配者の文明として確立されたのはギリシア文明だった。

 ユダヤ人たちは、そのような環境のなかで、ユダヤの地を離れ、ヘレニズム世界に分散していった。ユダヤの地を離れたユダヤ人のなかには、ユダヤのことばであるヘブライ語を解せず、ギリシア語を話す者も多くなってきた。その外地のユダヤ人たちは、もともとヘブライ語で書かれていた当時の聖書―現在の旧約聖書―のギリシア語訳に着手し、完成させた。

 じつは、旧約聖書と新約聖書では、原文の言語が違う。旧約聖書は、古代イスラエルの民の言語であった古代ヘブライ語で書かれている。それに対して、新約聖書はギリシア語で書かれているのだ。新約聖書がギリシア語で書かれている前提には、ギリシア語訳の旧約聖書の存在がある。ユダヤ史やキリスト教史と、ギリシア‐ローマの歴史とを別々に学んできた私たちにとっては、ソクラテスやプラトンやアリストテレスの文書がギリシア語で書いてあるのは当然だと思えても、聖書がギリシア語で書いてあったとなるとやや意外に思える。しかし、ユダヤ人たちは、現在の旧約聖書(「続編」を除く)ができあがった後の時期に、ギリシア文明の世界のなかに入っていくことで折り合いをつけなければならない状況になっていたのだ。

 けれども、ギリシア人政権側が、例の「読み替え」によって、エルサレムの神殿をギリシアの最高神ゼウスの神殿にしようとしたときには、ユダヤ側も抵抗せざるを得なかった。この抵抗を機に、ユダヤは勢力の衰えていたシリアのギリシア人政権から独立する。しかし、ギリシア人政権の衰弱は、より強大な帝国の東地中海への進出をもたらした。ローマ帝国である。独立したユダヤ王国はそのローマ帝国の傀儡(かいらい)政権と化した。

 政治共同体のそのような衰弱に際して、ユダヤには再び預言者たちの時代が訪れる。共同体の新生からのサイクルが、バビロン捕囚後、また一回りしたのである。

 新約聖書に、イエスの先駆者として登場する洗礼者ヨハネはそういう預言者の一人である。また、新約聖書にイエス教団のライバルとして登場するパリサイ(新共同訳ではファリサイ)派や、「死海文書」を残した派ではないかと推測されるエッセネ派などの新たな教団が登場してくる。イエスもそういう預言者のなかの一人であった。イエスの教団は、もともと「ナザレ派」と呼ばれていたのだが、やがてユダヤ教から自立して「キリスト教」になったのである。

 このうち、現在のユダヤ教の起源となっているパリサイ派は、苦難の時代にこそ律法を厳格に実践することが救いにつながるという考えかたをとっていた。これはこれで、革新派には違いない。原点回帰派の革新派である。つまり、「出エジプト」やバビロン捕囚からの解放を成し遂げた時代のまっさらな心に帰れば、また新たな出発があると信じる革新派である。「出エジプト」の後にも、バビロン捕囚からの解放の後にも、人びとの心は堕落して神から与えられた掟を守らなかった。だから苦難が訪れたのだ。したがって、今度は掟をきちんと守ればそんな苦難に遭遇せずにすむはずだ。人間は、環境が変化しても「堕落」せずに生きることができる。この考えかたは、人間性についてそのような楽観的な判断を持っている。だから戒律の厳守を求める。人間性への楽観視が、人間に対する厳しい要求を帰結する。その厳しい要求を人間が守りきることができなければ、また苦難が訪れる。でも、苦難が訪れるだけで、世界そのものが終わるわけではない。

 そのライバルであったキリスト教は、それとはまったく異なる考えかたをとる。「世の終わり」による革新という考えかたである。

 私は旧約聖書の「世の終わり」に関する字句を詳しく読んで検討したわけではないことをあらかじめ断っておきたい。その上で、私の持っている印象から言うと、旧約聖書には強烈な終末意識を読みとることはできないように思われる。たしかに、神の掟を破った者への罰としての滅びは言及されている。しかし、正しい信仰を持っていれば、その滅びは回避できるというのが、旧約聖書の「世の終わり」であるように私には感じられるのである。

 キリスト教のいう「世の終わり」はそれとは違うように思う。神の掟に従う正しい者も、神の掟を破る者も、ぜんぶ含めて、かならず世は終わるのだ。そして、いったん世が終わった後に最後の審判によって正しい者が復活する。そして、まったく新しい世が始まるのである。その新しい世では、人が神の掟を忘れて堕落することは二度とないであろう。

 キリスト教は、その論理を、当時の「聖書」、つまり私たちのいう旧約聖書に根拠づけようとする。しかし、その根拠づけかたは、私たちから見るとあまり「論理」的には見えない。つまり、旧約聖書の記述の一部分とイエスの言行とが一致するということを、かなりのこじつけも含めて挙げている。「旧約聖書のここの文脈はこういうことを言っているから、イエスの言行はそれに沿ったものだ」という論証ではない。文脈とはほとんど関係なしに旧約聖書の文言を抜き出して、それをイエスの言行にむりやり当てはめ、旧約聖書はイエスの出現を予言する予言書として書かれていたのだと論じているように私には読めるのである―つまり、非キリスト教徒の私には、である。

 しかし、それがたぶん、キリスト教本来の「論理」―「ロゴス」つまり「神のことば」のあり方だったのだと思う。神の論理は、人間の論理ではすっきり割り切れないところに、断片として顔を出している。神はわざとこの世のあちこちに手がかりを残しているのだが、人間の論理ではおよそ関連性のないところに分散され、隠されている。それを再構成できるのは霊感を授かった預言者だけだ。イエスは、人間の論理ではまったく意味のないことを行うことで、その神の論理を読み解く資格を持つことを証明する。

 いまでは流行遅れになってしまった現代思想用語でいうなら、神の論理は、「脱構築」しないことには探し当てることはできない。しかし、「脱構築」したからといって、だれでもそれを探し当てることができるわけではない。むしろ、「脱構築」したあとに、その人が預言者なのか偽預言者なのかが判断されることになる。そういう仕掛けになっている。

 キリスト教は、そのようにして見出された神の論理のなかから、「世は終わる」ということと、「復活」への確信を読みとる。預言者にして救世主であったイエスの処刑後、キリスト教徒たちはイエスの証した真理に従って活動を始めることになる。

 

 

5.

 

 ところが、キリスト教にとって困った事態が発生した。世が終わらなかったのである。

 初期のキリスト教徒は、終末までの時間を、いまから思えばかなり短く考えていた。たとえば、「世が創られたときには七日が必要だったわけだから、世が終わるのも、ローマ帝国の皇帝の第七代めの時代だろう」などと考えていたのである。なお、このころのキリスト教徒は、やがて滅びるべきローマを「バビロン」になぞらえていた。「ヨハネの黙示録」にバビロンという名で出てくる都市や国は、実際にはローマを指していると言われる。

 キリスト教に対する激しい迫害も、世が終わると思えば耐えられた。どうせ、迫害する側も、迫害されるキリスト教徒も、世が終わるときには死ぬのだ。そして、キリスト教徒には、その後の復活と、永遠の都「新たなエルサレム」が待っている。だが、世が終わらないとなると、迫害はずっと続くわけだし、正しい信仰に殉じたキリスト教徒が復活する機会もなかなか訪れないことになる。これはたいへん困ったことである。

 この問題は、初期のキリスト教会の内部で「終末遅延」問題として大きな議論を呼ぶことになった。

 その結果、「正統」キリスト教会のたどり着いた解決は、「終末は今すぐは来ないかも知れないが、いずれは来るのだから、いつ終末を迎えてもあわてないように、万全の準備をしておかなければならない」というものだった。

 終末を迎えるためにこそ、秩序が必要だというのである。そのようななかで利用されたのが、イエスの教えをローマ帝国内に広めるのに中心的な役割を果たしたパウロの教説だった。

 パウロは、たんにイエスの教えを広めただけの人物ではない。ローマ帝国の各地にキリスト教が広められ、各地に教団ができると、各地の教団内部で主導権争いが起こったり、目立とうとして預言者まがいの言動をする者が現れてきたりした。それを放置しておけば教団瓦解の危機にいたる。その分裂の危機を回避するために積極的に説教活動したのがパウロだった。

 今日でも、キリスト教式の結婚式では、「コリントの信徒への第一の手紙」の一節、「愛の賛歌」と通称される部分がよく引用される。「愛」がいかに偉大で、強靱で、永遠の生命を持つかを説いた部分である。「愛」は預言なんかよりずっと偉大で価値があると書いてある。これは、本来は、預言のまねごとをやって自分の偉大さをひけらかしているような幹部に、そんなことよりも教団の結束のために互いに「愛」しあうほうがだいじなのだと説いているお説教の一部なのである。私たちは、その文脈から切り離して、「神のことば(論理)」式に別の意味を持たせて結婚式で使っているわけだ。

 このようにして、キリスト教団の活動は、もうすぐ世が終わるという判断のもとでの過激なものから、なかなかやってこない終末まで教団を存続させるという持久戦体制へと変わっていった。ローマ帝国との持久戦状態が続いた。ローマ帝国はローマの神々を崇拝することを求め、また、死んだ皇帝を神として扱い、その皇帝への崇拝を求めた。キリスト教徒はそれを拒否したから、ローマ帝国とキリスト教団とのあいだにはつねに緊張関係があった。3世紀のディオクレティアヌス帝は、生きている自分への崇拝を強要ようになったため、キリスト教団はローマ帝国との厳しい対決の試練にさらされる。

 この持久戦で優勢な地位を得たのは、いつ来るかわからない終末に備えて体制を整えていたキリスト教団のほうであった。4世紀になって、コンスタンティヌス「大帝」がキリスト教を公認した。

 これ以後、「終末に備える」ために秩序を保とうとしてきたキリスト教会は、その秩序を地上のローマ帝国の秩序を維持するために使うようになる。このとき、コンスタンティヌス大帝に協力したキリスト教「正統」派は、まもなく、ローマ帝国の「分裂」によって、ビザンティン帝国に受け継がれる東方正教会と、フランク王国に受け継がれるローマカトリックとに分かれた。なお、ビザンティン帝国もフランク王国もいまは存在しない。東方正教会は、現在の東ヨーロッパ(ロシアを含む。ポーランドなど「中央ヨーロッパ東部」は含まない)を中心に広がり、カトリックはフランス、イタリア、スペイン、アイルランドなどを中心に広がっている。

 このうち、東方正教会では「終末」の教えを捨ててしまっている。捨てているというよりも、むしろ、すでに「終末」は来ていて、神と人とが和解する理想社会は実現しているのだというのが東方正教会の立場だそうである。従って、東方正教会では、その理想社会のなかでいかに正しく生きるかということが信仰の主要な問題になる。こんな言いかたをすると東方正教の人もユダヤ教の人も怒るだろうが、現世のなかで神の掟を守りながら正しく生きることを重視するという点では、東方正教の立場はユダヤ教に似通っている。

 これに対して、カトリックは、「終末のために秩序正しく生きる」という教えを維持しつづけた。天上に秩序があるように、地上にも秩序がある。地上の秩序は、地上での神の代理人であるローマ教皇を中心に整然と編成されている。そしてその地上の秩序は天上の秩序のように不変でなければならない。それがカトリックの「終末に備えるための秩序」であった。

 東方正教も、カトリックも、それぞれのやり方で終末意識を秩序の思考へと結びつけているのである。

 それは、教会組織が生き残るための姑息な正当化なのだろうか。そういう面はたしかにあるだろう。しかし、終末意識とは、たんに無秩序な破壊を引き起こすものではなく、同時にすぐれて秩序の思考を求めるものなのではないだろうか。

 

 

6.

 

 神とは、何者か。

 旧約聖書によれば、人間は神をかたどって造られたという。だが、事実は、やはり逆であるように思える。神が、人間をかたどって―すくなくとも人間のありようを基礎にして構想されたのである。

 神は全能であると言うとき、その全能さはふた通りがあるように思う。

 一つは、人間にできることがすべてできるという全能さである。現実に生きている人間は、人間にできることすべてができたりはしない。それができるのが神の全能さだという考えかただ。この場合、その神を手本にし、神に近づくことが、人間の目標として設定できる。

 もう一つは、人間には想像すらできないほど全能だというあり方である。そして、「全能」というのであれば、どうやらこちらのほうがより完全な「全能」そうだ。人間の想像できる範囲には限りがあるはずで、その範囲に限定されている「全能」さなど、大したことがないはずだからだ。ほんとうの全能ならば、その範囲など軽く超えていなければならない。そこで、神には神の論理があり、人間にはその論理を理解することはまるきりできないという全能さが想定される。ところがこうなると人間は完全にお手上げである。それでは困る。なんのために神という存在を設定したのかわからなくなってしまう。全財産をはたいて購入してみたものの、使いかたのまったくわからないソフトみたいなものである。

 そこで、預言者と呼ばれる選ばれた人間だけがその神の論理を読み解くことができ、それを人間に伝えることができる―という論理が導入される。

 だが、この構想は危険をはらんでいる。神は人間には知り得ない神の論理を持っているから、人間がそれを模倣することはできない。しかし、預言者は人間であり、しかも神の論理を理解しうる。これはさまざまな意味で危険である。預言者は人間であるから、人間ならばだれしも預言者になりうる可能性がある。また、預言者が理解した神の論理は、人間である預言者の論理を介して人間に理解しうるものになる。したがって、人間は、人間には想像できないほど全能な神を、預言者を介して模倣しうる。偉大すぎて存在を感知することもできない神よりも、預言者が実質的な崇拝を集めるという事態も起こりうる。こうして、人間に想像することすらできないほど全能だと想定された神の存在は、預言者の存在を設定した場合には、かえって、神と、預言者と、人間との境界を越境しやすいものにしてしまう。

 神は、人間に、神のようになることを禁じる存在である。神は人間の想像を超えた存在だから、なろうとしてもなりようがないからだ。しかし、そのようになろうとしてもなりようがないのなら、わざわざ禁じる必要はないのではないだろうか。それでも禁じなければならないのは、そうと知りながら、やはり人間は神のようになろうとする存在だからだろう。いや、禁じているから、人間は神のようになろうとするのだろうか。

 この場合、神を、媒介変数として消去することができる。そうすれば、人間とは、自分が理解もできないし、ましてそれになることもできないようなものになろうとしたがる、矛盾した存在だということになる。

 だが、それだけのことなんだろうか?

 それでも、神が自分は「存在する」と主張しているのは、いったいなぜなのだろうか。

 

 

(2000/12/02)



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