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-- Saint Magical Critique --

第2話

「ライバルは黒ずきん」




主なゲストキャラクター

なにあれ? へんなの!



 さすがに後に大あばれする桜井弘明演出・音地正行作監の話である。桜井・音地組の愛するお鈴ちゃんと「愛美ちゃん」が最初からちゃんと登場している。

 そしてやはり後に大あばれするやっこちゃんの登場話だ。

 『赤ずきんチャチャ』のTVシリーズでは、前作『姫ちゃんのリボン』とちがって、監督の辻初樹さんは、総集編と第一話・最終話のほかは、ほとんど表に立って活躍してはおられない。そのなかで、『チャチャ』の『チャチャ』らしさを支えていた鍵となるスタッフには、脚本の山口宏・三井秀樹、演出の佐藤竜雄・大地丙太郎などがいる。桜井さんはその最重要人物だと言っても過言ではない。一年のシリーズとして計画されていたもともとの構成に従えば最終話になるはずだった50話もコンテを切っているのは桜井さんだ。


・桜井演出の饒舌さ

 『チャチャ』での桜井演出の見せどころはかぎりない饒舌さにある。その最右翼が23話「戦え!卒業試験」や67話「恐怖! 12日の金曜日」であるが、その片鱗はこの2話ですでに見られる。

 「饒舌」だというのは、ともかくちょっとでもおもしろくなりそうなところは見逃さずに演出で遊ぶという態度で徹底しているという意味だ。その場面が物語上で意味があるかどうかは関係ない。物語上、ぜんぜん意味がなくてもともかく全力を傾注して遊ぶのだ。「ドアよ開け」→「ひらめ」→「くらげ」で遊べると思ったら万難を排して遊ぶ。「お鼻の束」で遊び(これはほんとに気もちわるいぞ!)、どろしーの服の試着で遊ぶ。ともかくどの場面も「まとも」に終わらせない。「起承転結」というような、一本の作品のなかの秩序はまったく無視されてしまう。

 だからといって「散漫な」印象になるかというとそうでもない。たしかに、あとで思い返してみると、あの場面もこの場面もとつぎつぎに印象に残っている場面が無秩序に飛び出してきて、その意味では「散漫」と言えないこともない。だが、その「まとまりのなさ」こそが『チャチャ』らしさを支える重要な柱なのだ。これは原作からそうなのであって、桜井さんはその原作のエッセンスをよく理解しているというべきだろう。

 ちなみに、『チャチャ』のあと番組『ナースエンジェルりりかSOS』では、桜井さんはここまでの「暴走」演出を見せることはない……と思っていたら、『りりか』も終盤になって31話「花林が渡したチョコレート」で桜井さんは貯めに貯めていたエネルギーを超新星爆発のようにいっきに放出したようだ――「超新星」はまずいかな? 超新星は爆発したら終わりだもんね。

 『チャチャ』のばあいとちがってこの桜井演出の作は『りりか』の正統を行くものではなかった。けれども、みゆきさんの思いこみや入院患者など、少なからぬ『りりか』のキャラはもともと「遊び」の部分も持ったキャラとして設定されているように思われる。ところが、物語の展開上、『りりか』のキャラクターはあまり「遊び」の部分を発揮する機会がなかった。その「遊び」の部分を開花させたのが桜井さん演出のこのエピソードである。花林は、このエピソードがなければ、ただの「体育会系にあこがれるだけ」の類型的なキャラクターで終わっていたかも知れない。

 じつはこの31話ほど目立たないが、『りりか』の前半でも、2話でのみゆきさんと親衛隊、8話でのやはりみゆきさん・一等パパの描写では、桜井演出のコミカルな味が活かされている。とくに8話は敵キャラとの対決を一瞬ですませてしまうという、31話に見られる技が活かされているのだ。また、『りりか』2話は、枝状のものが増殖する敵モンスターや、部屋のなかで戦いをはじめて窓から外に出て戦うなど、この『チャチャ』2話をうかがわせる演出がところどころに見られる。

 その後、桜井さんは周知のとおり『こどものおもちゃ』にも参加している。初登場の二話では一話の大地演出に食われ気味だったが、その後は桜井演出らしい作を重ねている。1996年夏からは『水色時代』にも参加している。主人公優子ちゃんを「鈴木真仁キャラ」として描く腕はだれにも劣らないように思われる。


・学校と魔法少女

 さて、『チャチャ』での桜井さん初登場のこのエピソードは「学校」へ行く話である。

 アニメでは、原作とは異なり、最初から学園に入ることにして、もちもち山・うりずり山から学園に通うことにしている。そのため、うらら学園も「街の学校」ではなく、田園地帯のなかにある牧歌的な雰囲気の学校になっている。学校の往復の道も野山を越える山道だ。

 学校というと、子どもたちを拘束するための一種の「監獄」である、という面と、子どもたちにとってはいちばんたいせつな「社会」であるという面の両方がある。

 「監獄」というと表現がきついかも知れない。だが、授業のときには、子どもたちが教室から出ることを許さず、しかも教師がその看守役につくという点では「学校」は「監獄」に似ているということができる。逆も言えるのであって、近代の監獄は多少なりとも「学校」的要素は持っているわけだ。

 また、「監獄」とは性質が異なるかもしれないが、子どもの人間関係の中心は学校である。そこでの先輩・後輩関係やクラスメートどうしの人間関係、ばあいによっては生徒会の人事や予算も、子どもの生活を強く束縛する。

 『ミンキーモモ』第一シリーズ(空モモ)では、モモが魔法の力を持っているときには、学校からは閉め出された領域で生きており――それでも宿題なんかしていたが――、魔法の力を失ったとたん、ごくしぜんに学校に受け入れられるという描写がなされていた。第二シリーズ(海モモ)のほうにも学校の話はあって、モモは学校では最劣等生扱いされていて、ただ劣等生のレッテルを貼るためだけに学校に呼び出されるというような話であった。

 で、『モモ』の学校は、両方とも都会にあった。

 『チャチャ』のうらら学園にも「監獄」的な側面はある。大魔王は、チャチャを学園に「閉じこめて」おくことを狙って、二〇話からの「卒業」妨害を実行させる。

 「おりこう」しいねちゃんはともかく、チャチャやリーヤは、自分を教室に閉じこめておく仕組みとしての「授業」はあんまり好きではないようだ。

 けれども、授業からの逸脱部分では『チャチャ』のキャラクターは学校でじつによく動く。というより、『チャチャ』で学校が描かれている場面というと、給食や下校や休み時間や、遊びと何のちがいもない学校行事や、何かのアクシデントで授業が中止になった場合などがほとんどだ。「試験」が二度ほど話題になっているが、その「試験」といったら試験か遊びかよくわからないようなものであった。ちなみにその一方(23話)はやはり桜井さんの演出作品である。ふだんの会話で「学校」に関係すること――たとえば宿題や生徒会や先輩後輩関係が話題になることもほとんどない。やっこちゃんやお鈴ちゃんとチャチャはクラスメートだけれど、クラスメートとして友だちなのではない。やっこちゃんはやっこちゃんとして、お鈴ちゃんはお鈴ちゃんとして、またクラスはちがうけれどマリンちゃんはマリンちゃんとして、クラスメートであるかどうかは抜きにして友だち(まあ、そういうことにしておこう)なのだ。かくして、「監獄」の「看守」にあたるラスカル先生のムチは、看守役の威嚇手段としての意味を失っていくことになり、それが「黒板消し」に乗ぜられて……ってな話なのかどうかよくわからないけど。

 ともかく、『チャチャ』の「学校」はその「場」を提供するだけの空虚な「基盤」にすぎない。

 もとから自由に遊んで回っているわけではなくて、わざわざ拘束のある社会に身をおくからこそ、そこからの「逸脱」を、思う存分、何の遠慮もなく繰り広げることができる。ここに『チャチャ』の世界のあるあり方があらわれている。

 こういう「学校」に似た描かれかたをしていたのは『きんぎょ注意報!』の田舎ノ中学がある。うらら学園が「田舎の学校」であるのは必然なのかも知れない。より正確にいうならば、「都会の人間が考える田舎の学校」である。

 住宅街や公園やグラウンドに囲まれた学校が舞台ならば『チャチャ』は相当に雰囲気のちがった作品になっていたのではなかろうか。漠然と森や野原や畑が広がっているらしいというだけで、周囲に何があるかわからないような学校だからこそ、そこにチャチャたちの「逸脱」の余地もあり、また敵キャラがみょーな仕掛けをしかけて待ち伏せる余地もあるのだ。(註)
 (註)  などと書いていたらOVAの最後の場面ではうらら学園ごと都会の学校になってしまったみたいである。それは、また、そちらの批評を参照されたい。


・やっこちゃん

 それにしても、やっこちゃんである。

 原作でも相当に力のあるキャラクターだったが、適役赤土’眞弓の声を得ていっそうはばたくことになった(いや、黒ずきんやっこちゃんが「はばたく」とかなりぶきみだと思うけど(^^;)。チャチャの鈴木真仁はチャチャを演じながらチャチャの声を作っていったという面が強いが、赤土’眞弓は最初からやっこちゃんそのものである。ところで、赤土’さんの出身地を福岡としている資料があるが、これはまちがいで、福島とするのが正しいらしい。

 やっこちゃんは、マリンちゃん・お鈴ちゃんとともに、チャチャのライバルでありながら親友であるという役回りだが、他の二人に比していくぶん特権的な地位にいるようだ。チャチャの素姓が明らかになる24話ではなぜか物語の一方の主役を張るし、50話でセラヴィーを救って結果的にチャチャに大魔王を倒す機会をつくってやるのもやっこちゃんである。なぜそうなのかというのは、……そのうち思いつくだろう。とりあえずは、やっこちゃんが「愛して」いるのがチャチャの師匠のセラヴィーであり、セラヴィーはリーヤ・しいねちゃんに比してシリーズの物語全体を支える地位にいるということ、やっこちゃんが心情的に「おねえさん」であることなどの理由があろうけど、ミもフタもないことを言ってしまえば、それだけスタッフに好かれていたということが鍵なんだろうと思う。



 まじんちゃんはこの話で「濁点」を開花させはじめているが、同時に、後にはなかなか聴けない「高い声でおどろくチャチャ」のような声もこの時期には聴ける。プリンセス(マジカルプリンセス=変身後のチャチャ。「大チャチャ」)の声も、第一部の前半の諸話にくらべると、まだ、若干、高めだ。
 余談ながら、このエピソードのプリンセスの決めゼリフは、SFCゲーム『バウンティ・ソード』のある場面にそのままに近いかたちで使われている(→『バウンティ・ソード』のページ(準備中))。



■執筆:清瀬 六朗



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