* 註釈(ぶーりん・ア・ラ・カルト)
【B−CLUBの特集】
ついでながら、この特集の流れを組んで、『B-CLUB』は『魔女っ子大全集』というムックを企画し、『セーラームーン』までを含んだ形で「東映動画編」がこの約二年後に刊行された。これは相当な力作であったが、期待されたその続編(おそらく「葦プロ・ぴえろ編」だったのだろう)は今に至るも刊行されていない。それは『B-CLUB』編集スタッフの交代という面もあるのだろうけれど、『セーラームーン』以降激増した「魔法少女アニメ」すべてを取り込むには企画自体を再検討する必要が生じてしまったからではあるまいか。もっと乾いた説明をすれば、『東映動画編』が手間暇かけて作った割には思ったほど売れなかった、ということなのかもしれないが。
【愛子お姉ちゃん】
愛子お姉ちゃん。あとから触れるように演じたのはぶーりんの白鳥由里さんである。
【愛と青春のシュート】
二話「愛と青春のシュート」。余談だが、このときの悪役である竜巻五郎がのちにこれまた一段と切れて再登場したのはある意味で自然なことだろう。
「みんなぶーりんになりたかった」 青磁ビブロス刊『ぶっくofぶーりん』収録。
【巫女としてのマジカルプリンセス】
ところで、それではステンドグラスになってしまったプリンセスはどうなるのだろう?
プリンセスは、じつはその「時間」の祭りとしてのドタバタ劇を司る巫女だったのではないか、というのが私の答えである。じゃあ、大魔王は? 大魔王は、その巫女の相方をつとめる道化である。
日本の祭りのなかには、悪役の鬼がわざわざ登場して、それがやっつけられたり改心したりするところを祭りのなかで毎年演じているという構成のものがあるようだ。いやぁ、金曜日に徹夜すると、NHKで朝の五時から『ふるさとの伝承』ってやってるんだよね(再放送)。これは「日本の伝統」ネタの作品としては私は非常に好感を持てる作品だと思っている。なぜいいかというと、作っている人たち自身もそういう「伝承」をまったく知らないという視点から作品を作っているからだ。NHK教育は『ふるさとの伝承』と『飛べ!イサミ』を放送しているすばらしいチャンネルなのである。
プリンセス編ではあんなに盛り上がったのに、しょせんは巫女と道化とはなっとくできない、という意見もあろう。しかし、「時間の祭り」の巫女と道化だからといって、それは何も矮小な役どころではない。プリンセス編で展開された「時間の祭り」は、そうした祭りのなかでも特別に大きなもの、まあ数百年に一度、しかも国土全体を舞台にし、国民全部をかかわらせて行われた壮大な「祭り」と考えればいいのである。まあ、本気で命のやりとりがいくらも行われたフランス革命を「祭典」という視角から捉える研究があるようだけど、そういうものだと考えればいいのだ。
「悪」の大魔王が登場し、世の中がいろいろと不正常な状態に陥っていたのを、それを聖なる力を帯びたプリンセスが、さまざまな苦難を乗り越えて討伐する。その艱難の歴程で、プリンセスは、この世が本来の姿からすると正常さを失っていた部分を、ひとつずつ、修復していく。「世直し」ってことばはまったく陳腐になってしまったが、そういう世界全体の大がかりな修復作業を、世界のあちこちの悪を一人で象徴した道化とした大魔王を相手に回すことで行う。その過程に全世界の人間をかかわらせ、全世界の者たちに示す。そうした正常に戻った世界から、またネバーエンディングストーリーが始まるのだ。
また、この世界のあちこちが傷んで、大きな修復工事が必要となったころ、また巫女としてのプリンセスと鬼役の道化としての大魔王は出現するだろう。そうして、また全世界を舞台にした「時間の祭り」を繰り広げるにちがいない。
それもまた壮大な「麓の物語」の一節にすぎない。
『WWF13』 151−152頁