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押井守與亞洲的都市

― 押井守作品のなかの「アジアの都市」 ―


清瀬 六朗



 押井守はインタビューなどで「映画は絶対に国境を越えない」と何度も語っている。

 「全世界同時公開」を売り物にした映画の監督にしてこの発言とはなかなかめでたい話である。しかし、だからといって、押井守が文化的なナショナリストであるかというと、そうは思えない。

 『Stray Dog 』以来の作品で押井守がこだわってきたテーマに「アジア」がある。その発想は「これまでの日本が欧米中心だったからその姿勢を反省してアジア」(と標榜する人間の何パーセントがほんとに「反省」しているのやら)とか「経済発展してきたからアジア」とかいうものとは無縁である。

 湿潤な気候、雨、蒸し暑い夏、淀んだ水と土のにおい、――そういったものが押井守作品に描かれた「アジア」だ。それは地理的な概念ではない。体感的な観念なのである。その「アジア」の都市を――もっといえば「首都」をめぐって多くの押井作品の物語は展開する。

 「アジア」の大都市はたいてい海辺にある。現在ではちがうかも知れないが、近代化が始まる以前は多分に「水郷」的な性格を持っていた都市が多い。上海、香港、ハノイ、サイゴン(現在はホーチミン市の一部とされる)、バンコク、マニラ――そして東京・名古屋・大阪もそうだ。その都市には夏になると台風が襲い、すこしの荒天で水をめぐる災害が起こる(最近は水不足で悩むことが多いが)。もし海面上昇が起こればその都市は水没してしまうかも知れない。

 押井守の「アジア」は洪水による終末を描いた聖書的世界からいわば地続きの世界なのだ。もちろん、それは、南方東アジア〜東南アジアの風土に規定された「アジア」像である。だが、押井作品にとっては、その「アジア」こそ、全世界の下に埋もれつつ世界を構成する基盤になっている。

 アジア  「アジア」とは、もともと古代ギリシアで、現在のトルコ(地名としてはアナトリア)のあたりを呼んだことばである。現在、この地方を「小アジア」というけれども、ほんらいはここが「アジア」だったのだ。インド世界や中華世界が「アジア」の一部として認識されたのはそんなに古いことではない。また、19世紀中ごろのドイツ人にとっては、「アジア」とは「東方のおくれた世界」というイメージがあり、たとえば皇帝専制国家であったロシアやその周辺民族と考えられていたスラブ民族までが「アジア」の範囲に入れて考えられていた。

 まぎれもないその「アジア」の都市で、やはり「国境」を無効にする技術としてのハイパーテクノロジーが隆盛を誇り猛威を揮う。その姿を押井守が本格的に描いた最初の作品は劇場版『パトレイバー』(第一作)ではないかと私は思う。

 この作の公開当時にimaginary press inc.の登坂氏がいち早く指摘した点を参考にして言えば、この作品での、頽れゆき廃墟と化しゆく「東京」は、じつはハイテク都市としての東京ではない。帆場が滅亡させようとしたとされる 東京がたんなるハイテク都市なのであれば、この作品の構図は、故郷を喪失させられた純情なプログラマーの復讐物語になってしまう。だがそう単純な物語ではないのである。帆場の悪意はそうかんたんに了解できるようなたちのいいものではない――おそらく押井守の悪意も。

 (註)  最近、登坂氏が「抽象企業」シリーズでとりあげた「建築探偵」藤森照信氏が監修した「東アジア」建築についての本がまとめられた(個々の都市についてのものはじつはもっと前から出されていたのだがなかなか見ることができなかった)。『全調査東アジア近代の都市と建築』(筑摩書房)である。中国・香港・マカオ・台湾・韓国に現在に残存する「近代」建築を紹介した資料性の強い本である。しかし、藤森氏の他の著書とあわせ読むと、いろいろな方面から興味が湧いて来て、たのしく読める一冊ではないかと思う。

 この作品には看板建築や同潤会アパートが印象的なかたちで登場する。看板建築は、関東大震災後に東京市民(当時は「東京市」だったの!)が自分たちの創意を存分に生かしてデザインした建築群である。それは、マンサール(マンサード)屋根というヨーロッパの建築の方法を取り入れていたり、ダダイズムの影響があったりして、なかなか「モダン」な建築だった。同潤会アパートも社会政策という当時の最先端の思潮を反映して建てられた機能的な集合住宅である。

 この作品で頽れゆき廃墟と化しゆく「東京」は、最新のハイテク都市としての東京でもなければ江戸時代そのままの東京でもない。それは関東大震災後に市民(そのころは「東京市」だった)のレベルで欧米の影響を強く受けながら再建を進められた都市としての東京である。

 また、押井守が「東京」を象徴する花としてよく描くセイタカアワダチソウも、最近になって上陸した外来の植物だ。

 「アジア」の都市は多かれ少なかれ「植民地都市」という性格を持っている。それは、その都市が政治的に植民地であったかどうかには関係がない。そこには西洋諸国やその植民地から多くの人間がやってきた。そのなかには、その植民地の統治スタッフとしてやってきた貴族階級の人間もいたし、本国でうだつが上がらず植民地で一発あててやろうという山師根性でやってきた人間もいた。本国や他の植民地でやばいことをやって逃げてきた者もいた。政治運動に失敗して追われる身となり逃げてきた革命の志士もいれば、革命で政権を追われ、政権再奪取を虎視眈々と狙うために亡命してくる政治家や軍人もいた。もちろん生活に困って逃げてくる難民もいた。その国よりも貧しい周辺国やその国に支配されている国や従属関係にある国からもさまざまな人がやって来た。ときには強制的・半強制的に連れてこられたりした。その国が戦争に負ければ新しい支配者が新しい思想をふんだんに携えて英雄気取りでやってきた――そんなこともあったかも知れない。

 その連中は、自分の国の文化を身につけてやってきて、それをその都市に植え付けていった――ちょうどセイタカアワダチソウの種子を東京にもたらしそれを東京に根づかせたように。それは、あるものはこっけいなほどありがたがられ、あるものは侮蔑され忌み嫌われつつも、その都市に受け入れられていった。そうやってできあがった猥雑きわまりない都会こそが「アジア」の都市なのである。

 植民地都市にふさわしい猥雑性をむしろその都市自身の固有性とし、雑種性をその純潔の証とするような都市――それが劇場版『パトレイバー』(第一作)の東京なのである。そして、それは、大阪・上海・香港……といった、「アジア」の都市の本質的な部分でもあるのだ。

 全世界の下に埋もれた基盤がむき出しになった水辺の都市と、国境を無効化するテクノロジーの網の目のなかで、そして流入する難民のネットワークのなかで、それでもその都市の固有性は失われず、それどころか都市の固有性はさらに確かなものになっていく。押井作品の「アジアの都市」とはそんなものじゃないかと私は思う。

 その都市がたとえ破壊されたところで、そのあとに出現するのはやはり猥雑さに満ちたいかがわしい「アジアの都市」であろう。そんな定常宇宙的な「都市」について、それでもなお「終末」を語る意味は何か?

 こんなところにも押井守の罠は用意されている。

                         (おわり)




 蛇足的註

 ところで、この文章のタイトル「押井守與亞洲的都市」はおかしいと鬼の首でも取ったような気分になっている方はいらっしゃいませんか?

 いや、なかなか中国語を熱心に勉強していらっしゃる。

 中国語としては日本語の「都市」は普通は「城市」という。台湾の侯孝賢監督に『悲情城市』という映画がある。この「城市」である。

 私がこのタイトルを中国語風にしようとしてうっかり「都市」を日本語のままにしてしまったのは私の過失だ。しかし「これでもいいか」とそのままにしておいた。これ、「都市」でもわかるでしょ? 中国語でも「首都」とかいうことばでは「都」という文字を使うし、通じないことはないと思う。

 漢字表記というのにはそういう「いいかげんさ」を許容する余地がある。それはべつに日本人が漢字をいいかげんに――言い換えれば柔軟に使ってきたという、日本人だけの特質――ではない。漢民族自身が、少しずつ、ときには大胆に、漢字の語義をいろいろと変遷させながら使ってきたのである。そのことは漢字の起源や語義の変遷などを辞書で調べればわかるはずだ。

 で、インターネットというのは、厳密さを追求するのではなく、いいかげんさを許容しながら多くの人に理解されることを求めるメディアである。そういうネットの性格と漢字という媒体が持つ性格がなんか似てるような気がした。そんなことで、この「ピジン中国語」的なタイトルをそのままつけておいたのである。





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