私がテイバー彗星の存在を知ったのは8月27日のことである。この日、NTTのファックスニュースで国立天文台の天文ニュースを引きだし、その上に2個の新彗星1996N2と1996Q1発見の情報を見たのが最初である。この時、私は9月6日からの「しんかい6500」の航海に参加するための準備に追われていたのと、天気が思わしくなかったため、結局出港までに彗星の観測はできなかった。
航海では本州南方の天気が良く、市街光の影響もない星空が期待されるため、航海中にヘール−ボップ彗星・テイバー彗星の観測をすることにした。この目的で彗星の記事が載ったNTTのファックスニュースと予報位置を書き込んだ星図、地人書館の「ヘール−ボップ彗星完全ガイド」、そして百武彗星以来のKenkoArtos双眼鏡を持っていくことにした。
9月6日に「しんかい6500」母船「よこすか」は横須賀追浜の海洋科学技術センターを出港し台風16号(Sally)のあるフィリピン東方海上に向かった。天候の思わしくない本土を離れ、太平洋高気圧の圏内で晴天が広がっている海域に出て彗星の最初の観測を行ったのは9月8/9日深夜である。この日は彗星の発見からちょうど20日後である。エリダヌス座の北端で発見されたテイバー彗星は北東に移動し、オリオン座δ星ミンタカの西約2度の位置にあった。極限等級6.5等という空のもとで光度は8等、コマ直径10分と観測している。KenkoArtosでは10等級の星まで見ることができた。
出港時フィリピンの東海上にあった台風16号は南シナ海に去り、フィリピン東方海上には一旦晴れ間が広がった。この頃、「よこすか」は調査海域に達し、到着時は天気が良かったものの大局的にはこの辺りは太平洋高気圧の南の縁に相当し、熱帯収束帯の活動が活発で天候にはあまり恵まれなかった。結局この海域で彗星を観測したのは12日早朝だけである。しかもこの日の昼に
は調査海域の近海で弱い熱帯低気圧が発生し、発達して台風17号(Violet)になり、この台風は航海に最後まで影を落とすことになった。この時彗星はオリオン座γ星ベラトリックスとオリオン座δ星ミンタカのほぼ中間に移動していた。この時は前の観測と同じ光度8等、コマ直径10分と観測している。
台風17号の発生した調査海域を離れ、「よこすか」は太平洋高気圧の圏内の大東諸島東方の調査海域に向けて北上した。北上する間の14/15日・15/16日夜に彗星の観測を行っている。この頃には彗星の実際の位置が最初の軌道に基づいたNTTファックスニュースの予報からずれ始めており、予報位置を修正しながら観測を行った。この間台風17号は当初は台湾に近づくと予報されていたのが沖縄南方海上で進路を急速に北から東寄りに変え、調査海域に接近する進路をとろうとしていた。航海の先行に暗雲が垂れ込めていた。
この間は12日新月で月光の影響は小さく、長い航海に備えて体力を温存するため、早い時間に観測することにしていた。いちばん近い人里から1000km以上離れており、空の状態もきわめて良かったのでまだ彗星の高度が10度ちょっとの時に観測をすることが可能だった。なお、この時南の空の水平線上約10度の位置に明るい星を見た。これがアケルナルであることに気がつくまで少々時間がかかった。
初めて彗星の尾を観測したのは9月14/15日深夜のことである。この時彗星はベテルギウスの西約4度の位置にあり、光度は7等、コマ直径は15分、そして西に約1度の幅の狭い尾を確認した。これは後日確認した彗星にダストが少ない事実と調和すると思われる。翌日には彗星はベテルギウスの西約3度の位置にあり、光度は6.5等、コマ直径は20分、尾の長さは2度になっていた。
本州南方での観測 −9月16日〜30日−
この期間の航海は台風17号(Violet)の影響を強く受けた。9月15日に大東所東南東海上から同北東海上に移動したのだが、台風が急速に調査海域に接近する気配を見せたため、奄美大島に避難することになった。このため、9月17日は終日奄美大島に向けて航行し、深夜到着だったので夜が明けるまで奄美大島の北にとどまることになった。この間にテイバー彗星の観測を行った。そして18日から21日間で4日間奄美大島とその南に隣接している加計呂麻島との間にある奄美海峡の薩川湾に停泊していた。奄美大島到着時の9月18日早朝にテイバー彗星の観測をしている。この時は台風の影響が出て空の状態が悪く、何とか存在を確認できたにとどまった。この間は台風の影響で雲が多く、晴天が広がったのは出港直前の22日早朝になってからである。この日に彗星の観測をしている。彗星の観測を再び行ったのは22日早朝になってからである。この日彗星はベテルギウスの北のオリオン座ν星の近くに移動していた。光度は7等、コマ直径は20分で、幅の狭いプラズマの尾が西に3度ほど伸びていた。これ以後、25日早朝まで彗星の連続観測に成功している。奄美諸島出港後は本州南方海上を父島に向かい、この間は台風17号と台風20号(Yates)・21号(Zane)襲来の谷間で天気にも海況にも恵まれた。この間、23・24・25日早朝に彗星の観測に成功した。彗星は25日早朝までにふたご座ν星の近くまで北上し、光度は7等から6等、コマ直径は20分から25分、そして尾長は6度まで長くなった。地球に近づきつつあることもあり、核近傍のジェットも観測している。
「よこすか」船上での観測は25日早朝が最後になり、これ以後しばらくの間観測は断絶する。この頃は27日満月で早い時間は月光の影響を受けるため、月光の影響をかわすために観測時間は薄明開始直前にとっていたので彗星のあるオリオン座がある程度高く上ってから観測していた。26日・27日早朝は天気は良かったのだが、航海に関する仕事と月光の影響が避けられなくなったため、観測は行わなかった。また、南海上で20号と21号が不気味な動きを示しており、27日から10月9日までの後半の航海の前途に暗雲が広がっていた。この頃にアケルナルとは違う明るい星が南に見えたので何かと思ったらカノープスだった。
この頃になると予報位置からのずれは2度以上になり、できる限り連続観測をしないと彗星がどこにあるのかわからなくなっていた。この関係で薩川湾の22日朝の観測では彗星を見つけるのに苦労した。
「おがさわら丸」で父島を出港後、北緯29度に達するまでは天気も海況もよかった。そしてこの間に15夜の月を見た。しかし、翌日になると本州南岸に停滞している秋雨前線の影響を受け、強い東風と高波のため、デッキに出ることが禁止された。そして18日午後5時東京竹芝桟橋接岸、私の航海が終了した。
故郷に帰ってから9月30日までは台風20号・21号の影響で天気が悪く、彗星の観測はしていない。
地球最接近と本土での初観測 −10月1日〜15日−
この期間に入ってからの観測は9/30に購入した「月刊天文」の位置推算表を用いるようになった。
私が故郷に復帰して最初の彗星の観測は台風21号が東海上に去った10月2日早朝になった。関東平野の北部にある自宅では市街光の影響がどうしても出るため、どんなに空の条件が良くても極限等級は5等程度になり、天の川が見えることは少ない。また、この日は月齢が20で、月光下の観測になった。月光の影響は7日の観測まで受けている。
この日は3月に百武彗星を観測していた自宅のベランダ『籠原自宅』で観測を行っている。この日は双眼鏡の他に初めて望遠鏡、写真観測を行った。彗星はふたご座に位置し、南向きのベランダからは壁と屋根にかかって観測が困難だったので、彗星がさらに北上する今後に向けて対策を講じる必要が生じた。また、テイバー彗星はできる限り観測する方針にしたため、毎朝4時前後には必ず起床して空模様を確認することにした。このため、しばらくの間雨が降っていない限り4時前後に起床する生活が続いた。
台風21号が去った後、寒気を伴った低気圧が通過したため、全国的に天気が不安定になった。そして低気圧が通過した後は高気圧が北に偏って張り出し、関東では北東気流の影響を受けてしばらくの間天気が悪かった。しかし、彗星観測に付いては彗星を観測した午前4時前後に雲が切れることが多く、ずっと天気が悪かった割りには5日・6日・7日・10日早朝に彗星の観測に成功している。しかし、雲の合間からの観測になり、双眼鏡観測だけで望遠鏡観測、写真観測は行う間がなかった。
12日以後は北高型が解消し、気圧の谷が通過した後は天気がすっきりと回復するようになったが、短い周期で気圧の谷が通過し、観測の間隔は開きがちだった。彗星は13日早朝には「ふくろう星雲」M97に近づいたが、当初の予報ではこの時の天気は悪く、観測は絶望的だった。そして現実に深夜1時頃は曇り空が広がっていたが、急速に雲が切れ、朝4時頃には晴天が広がった。この晴天のもとで彗星の双眼鏡観測に加えて望遠鏡、写真観測も行い、10月2日以来11日ぶりの「三位一体」の観測になった。その観測の後また気圧の谷が通過し、次の観測は16日朝になった。この観測も「三位一体」の観測に成功している。
10月2日の故郷復帰後最初の観測の時、テイバー彗星はふたご座の北端に近いカストルの北西約6度の位置まで移動していた。空の状態は良かったが月光下の観測で極限等級は4等程度だった。それでも彗星の像ははっきりしており、光度は5等、コマ直径は25分、尾長は4度と観測している。望遠鏡観測ではコマは南に広がっており、ジェットも西と南に伸びていた。この日からC/1988A1ライラー彗星との関連からダストの尾の有無についても注意を払うようにしたが、それらしいものは確認していない。この後、悪天が続いたため、次の彗星観測は10月5日早朝になった。
10月5日から7日まで連続観測に成功したが、雲の合間からの観測になったため、双眼鏡観測だけで、望遠鏡観測、写真撮影は行う間がなかった。この頃彗星はやまねこ座に移動しており、光度は4.5等、コマ直径は25分と最も明るくなった。この間はまだ月光下で尾の長さは4度程度と観測している。これ以後、また観測は断絶した。そして彗星はおおぐま座に移動していった。
次の観測は10月10日早朝になった。この日も雲の合間からの観測で、望遠鏡観測、写真撮影は行えなかったが、月光の影響がなくなり、尾が長く観測されるようになった。この日、彗星はおおぐま座Φ星の南約1度の位置にあり、光度は5等、コマ直径は25分、尾長は5度と観測している。光度はおおぐま座Φ星(4.6等)より暗いと見積もっている。この頃から「月刊天文」の「しし座流星群」特集の極限等級のマニュアルを用いて空の極限等級と彗星の光度を見積もるようになった。
10月13日の観測の時、彗星はおおぐま座β星メラクに接近していた。この日は10月2日以来11日ぶりに望遠鏡観測、写真撮影を行った。彗星の光度は5等級、コマ直径は20分で、望遠鏡観測では前回の観測に見られた非対称なコマは見られなかった。ジェットは南に伸びる1本を確認している。尾は幅の狭いプラズマの尾を7度ほど確認しており、この長さは「よこすか」航海時を含めて最長である。この日、彗星はおおぐま座β星の近くの「ふくろう星雲」M97・系外銀河M108に接近すると予報されており、天気が回復した各地で写真が撮影されたと思われる。
次の観測は10月16日早朝になった。結局この間は3日おきの観測になった。彗星は北斗七星の中をさらに東に移動しており、この日は彗星はおおぐま座δ星メグレスの南南東約2度の位置にあった。光度は4.5等、コマ直径は20分で双眼鏡観測では中央周光は核の東側で明るいのが確認された。望遠鏡観測では南、北、西に3本のジェットが確認でき、このうち太陽方向の南のジェットは小さく、その他2本のジェットは長く伸びていた。尾は北よりに幅の狭いプラズマの尾が7度ほど伸びているのを確認した。
テイバー彗星はこの間にふたご座からおおぐま座に向けて急速に移動し、1日辺りの移動速度は最大で5度ほどになった。そしてこの間の10月7日には地球に最接近している(Δ=0.415AU)。光度もこの間に最大となり、予報では10日前後に5.5等まで増光することになっていた。これに対して私の観測では前半は5等、後半になって4.5等まで増光したとしている。全体的に1等級ほど明るく観測している。核の活動は活発で望遠鏡観測ではジェットを観測している。尾は月光の影響があった前半は短めだが、後半になって長く観測されている。洋上の観測だった9月とは空の状態がかなり違うので単純に比較はできないが、9月後半から10月前半にかけてプラズマの尾が急速に成長したようである。これに対してダストの尾はこの期間では確認できなかった。
近日点通過に向けて −10月16日〜31日−
10月20日頃までは彗星はほぼ予報光度通りの光度で見えていた。しかし、この頃から急激に暗くなり初め、31日には9等級近くまで暗くなってしまった。私の観測ではこの急激な減光に付いていくことができず、月末の観測では光度を明るめに見積もっている。
10月後半になると北高型が解消して高気圧に覆われることが多くなり、関東以西でも晴天が続くようになった。ただ、冬型の気圧配置になって寒気が入ることが多くなり、この期間に気温が急速に下がった。北日本から様々な冬の便りが届くとともに熊谷でも最低気温が初めて10度を下回った。彗星が大きく北上したためにこの間の観測は全て自宅の裏約50mの「籠原自宅裏」で観測をしており、北西の風をさえぎるものが何もないので体力的に過酷な観測になった。しかし、寒くなった分空の透明度は良く、まだ地平高度が高くて前半には月光の影響もなかったので観測条件には恵まれていた。
彗星は太陽の北側を東に運行しており、月末には赤経が太陽を追い越して太陽の東側に位置していた。このため、彗星は夕方の北西の空と明け方の北東の空の両方で観測が可能だった。そして月末にはどちらかというと夕方の北西の空の方が地平高度は高かった。ただ、私は夕方に海洋研究所にいることがほとんどで、市街光の影響を強く受けるため、この期間では夕方の彗星観測は行わなかった。
空の透明度がよかったこの期間の前半は16日・17日・19日・20日・21日・22日・23日のいずれも早朝に彗星の観測に成功した。しかも21日までは双眼鏡観測・望遠鏡観測・写真撮影の「三位一体」の観測をしている。そして22・23日は双眼鏡観測と望遠鏡観測だけを行っている。16日の観測まではほとんどの観測が2日おきで、連続観測を行うことはできなかったが、この期間では連続観測を行うことができた。しかも19日から23日は5日連続の観測に成功している。この間に彗星が急激に暗くなりつつあることは観測時にも気付いていた。
月齢は10月26日が満月で、前記のようにこの期間の前半は明け方の空では月光の影響はなかった。そして月が沈む時間の関係から24日朝が暗夜の最後の観測になったはずである。これ以後しばらくの間は月光の影響を受けた。そして月末には薄明開始時の地平高度が10度足らずまで低くなり、空の状態がよほど良くないと彗星の観測は難しくなった。
この期間の後半になると日本付近は移動性高気圧に覆われ、穏やかな晴天が広がることが多くなったが、その代わりに空の透明度が悪くなってしまった。この影響は低空で著しく、満月近い月光の影響を受けることもあって地平高度が低くなった彗星の観測には非常に厳しい条件になった。このため、23日朝以降の期間では26日朝に観測を行ったに過ぎない。これ以後も何度か観測に挑戦したが、彗星の確認はできなかった。これは低空の透明度が極端に悪かっただけでなく、彗星自体が暗くなったことによると思われる。
10月17日には彗星は前日から4度ほど東に移動し、おおぐま座ε星アリオトの南約2度の位置にあった。光度は4.5等、コマ直径は20分で、幅の狭いプラズマの尾が北に約7度ほど伸びていた。中央集光は核の南東側が明るく、ジェットは東と西に伸びていた。また、核付近からプラズマの尾が鋭く伸びているのを確認した。コマは西側にやや広がった非対称な形をしていたが、まだダストの尾は認められない。光度は前日と変わらないと見たが、活動は前日に比べて衰えたようである。
18日はちょうど朝2時から6時の間だけ雲が広がった。このため、次の彗星観測は19日朝になった。この日の観測では空の透明度が悪くなっており、中天高く上っている冬の星座の見え味が明らかに落ちているのを感じた。低空での空の状態の悪化を気にする記述がこの頃から見られるようになった。この日、彗星はおおぐま座ζ星ミザールの南西約2度の位置にあった。光度は5等、コマ直径は15分で、幅の狭いプラズマの尾が北に約3度ほど伸びていた。中央集光は弱く、ジェットは北に短く伸びていた。光度は前回観測に比べて暗くなったと見た。
20日になると気圧の谷が東に抜けて冬型の気圧配置になり、空の透明度が上がった。この日、彗星はおおぐま座ζ星ミザールの南約3度の位置に移動していた。近くの星が良く見えていたので光度の測定を行ったが、彗星は10月10日前後に最も明るく見えた時よりも明らかに暗くなっていた。光度は前日と同じ5等と測定した。コマ直径は20分、ジェットは双眼鏡でも尾の伸びている北に伸びたものが確認できた。望遠鏡では北に2本、西に1本の計3本のジェットを確認した。尾は北に幅の狭いプラズマの尾が7度程度伸びていた。
21日には彗星はおおぐま座η星ベネトナーシュの西約5度の位置に移動した。光度は前日と同じ5等と測定したが「前日よりも活動が衰えたように感じた」という記述があり、彗星の異変にはこの時点ですでに気付いていたようである。コマ直径は20分、ジェットは望遠鏡では北に1本を確認した。そして北に幅の狭いプラズマの尾を6度程度観測している。
22日になると彗星はおおぐま座η星ベネトナーシュに接近し、この星の北約20分の位置に移動していた。光度は5.5等と測定しており、「明らかに彗星が暗くなりつつあることを感じた」という記述があった。後日の比較による床の光度は1等級ほど明るく見積もっているようである。コマ直径は15分、ジェットは望遠鏡では北と西に1本づつを確認した。尾は北に幅の狭いプラズマの尾が6度程度伸びていた。
23日には彗星は彗星はおおぐま座η星ベネトナーシュから離れ、その東約2度の位置に移動していた。光度は5.5等、コマ直径は15分と昨日とほぼ同じと観測したが、「見え方は格段に悪くなった」という記述がある。この時は空の状態が悪くなったからだと考えていたが、あとから考えて見ると、これは彗星自体が急激に暗くなっていることを示していたようである。この観測以後、気圧の谷が通過して少しの間天気が悪かった。
次の観測は26日早朝になった。この日までに彗星はうしかい座λ星の東約1.5度の位置まで移動していた。光度は5.5等。コマ直径は15分と目測している。これもかなり明るめの見積もりだが、この時点では8等まで暗くなっていたことが確認できているので月光と大気減光の効果を過大に見積もっていたようである。尾は北に3度ほどプラズマの尾が伸びているのを確認した。望遠鏡観測も行っているが、ジェットは確認できていない。この日は満月の月光の影響と、天文薄明に入っていたこともあり、写真撮影は行っていない。26日はテイバー彗星を母天体とする流星の出現が指摘されていたが、彗星の観測の間それらしい流星は観測していない。
26日の観測以後、天気が回復しても空の透明度が悪い日が続き、観測はしばらくの間中断した。
写真撮影では天文薄明の影響が顕著に現われた。撮影の遅かった13・19日は空が真っ赤に写ってしまい、薄明の影響の大きさを思い知った。それ以外の日は星空が写り、彗星の像は16・17日の写真に特に顕著に写っていた。北よりに伸びる尾も写っていたが、明らかにプラズマの尾で、ダストの尾は写っていなかった。
これらの観測は他の観測と比較すると光度の見積もりはほぼ等しく、尾長の見積もりは長めのようである。全体的に地球から遠ざかって見かけのコマ直径が小さくなる代わりにプラズマの尾が発達していく傾向が認められた。この彗星が最も良く見えていたのは北斗七星に沿って移動していた10月中旬頃のようである。
彗星は13日にふくろう星雲に接近した後、北斗七星に沿ってさらに東に移動した。そして月末にはうしかい座に入っている。この間におおぐま座の様々な系外星雲に接近している。おそらくこれらの銀河と組み合わせて多くの写真が撮影されたことだろう。移動速度は次第に地球から遠ざかったこともあり、16日には1日当たり5度ほどだったのが月末には1日当たり2度ほどになっていた。
彗星は10月7日の地球最接近を終えて地球からは次第に遠ざかっていた。地心距離は16日には0.5AUほどだったのが月末には1AU近くなっていた。その代わりに11月3日の近日点通過に向けて太陽に接近しつつあった。このため、彗星の光度は予報では5.5等から6等でこの期間では大きな変化はないとされていた。しかし、現実には10月20日頃から急激に暗くなってしまった。10月下旬の観測光度は「天文ガイド」によると 10月13日・5.2等、19日・5.6等、20日・6.6等、22日・7.6等、23日・7.8等、29日・8.1等、9.4等、30日・9.3等、31日・8.7等となっている。
これに対して私の観測では20日頃までは4.5等から5等、それ以後25日頃までは5.5等程度で観測している。そしてこの間に顕著な減光を観測していた。最初はこれが現実に減光したのか、それとも観測条件の悪化により暗くなったように感じたに過ぎないのかはわからなかったが、あとから考えて見ると、この減光は現実に起こっていたことになる。この間に彗星は低空に移動し、観測条件が急激に悪化していたので大気減光の見積もりを過大にとっていたようだ。
彗星の活動に付いては核からのY字状の噴出が報告されているようだが、私の観測でもこれらしいものを確認している。これも10月20日頃まででそれ以後は核付近に目だった構造を観測していない。
尾はこの期間に最も長く観測され、最大で7度のプラズマの尾を観測した。実長に直すと0.07AUほどになるので標準的な長さではないかと思う。ただ、10月20日以後の急激な減光に対応して尾も急速に見にくくなったことを感じていた。ただ、急激な減光が始まってからもある程度は長い尾が観測されているようである。これに対してダストの尾は私の観測では結局全く観測されなかった。他の観測を見るとどうも10月20日頃の急激に暗くなる直前になってようやくダストの尾が伸び始めたらしい。そして暗くなってからもこのダストの尾が観測され続けている。同じ軌道を持つライラー彗星(C/1988A1,Liller)はダストの尾を伸ばした彗星であり。近日点通過が近づくとダストの尾が発達するのではないかと思われたが、ダストの尾の発達が見られないどころか彗星自体が急激に暗くなってしまうという意外な結末に終わった。少なくともテイバー彗星は1989年のブロルゼン−メトカーフ彗星(23P/1989N1=1989o=1989X,Brorzen-Metcalf)や岡崎−レビー−ルデンコ彗星(C/1989Q1=1989r=1989XIX,Okazaki-Levy-Rudenko)のようなダストの少ない彗星であることは間違いなく、ライラー彗星とはかなり物性が違うようである。
過去に分裂した彗星についての観測がいくつかあるが、これらの彗星の多くに共通する特性として「急激に減光する」というものがある。これは分裂によって新しく露出した面が彗星の活動にともなって急速にダストに覆われることに関係すると思われるが、テイバー彗星についてはこの例を適用するにしても減光が急激すぎるようだ。1988年に出現した分裂彗星・レビー彗星とシューメイカー−ホルト彗星はいずれも発見は近日点通過後だったが、どちらの彗星も急激に暗くなったことが観測されている。また、1994年のマックホルツ第2周期彗星も急激に暗くなった。そしてライラー彗星も当初の予報と比較して近日点通過後の観測が意外と早く終わっていることから急
激に暗くなったことが考えられる。近日点通過前に暗くなってしまう彗星は最近では1974年のベネット彗星が近日点通過を前にして急激に暗くなってしまったのが観測されている。また、1913年に観測されたウエストファール彗星(20D/Westphal)の例もある。これらの彗星については核の活動が全く止まってしまったことが考えられている。
−11月1日〜15日−
彗星は11月3日に近日点(r=0.84AU)を通過した。しかし、先月7日の地球最接近以後、地球から遠ざかっており、この頃には地心距離が1AUを超えていたため、予報でも光度はこの期間に急速に暗くなることになっていた。これに対して現実には先月末の急激な減光がさらに続き、この間に9等から10等まで暗くなってしまっている。
彗星は太陽のほぼ真北のうしかい座からかんむり座を移動し、10月末から11月いっぱいは夕方の北西の空と明け方の北東の空の両方で観測が可能だった。そしてこの期間に関しては夕方の空の方が条件が良く、地平線からの高度は20度程度あった。しかし、11月になって天気変化の傾向が変わり、日本付近は高気圧が北に偏って張り出す「北高型」の気圧配置になる傾向が強くなった。このため、北日本以外は天気が悪いことが多く、特に関東では北東気流の影響が出て雨の降ることが多かった。このため、この期間の彗星の初観測は6日夕方になってしまった。これは前回の観測から実に11日ぶりである。そして次の日の朝に再び観測に成功した。1日のうちに同じ彗星を夕
方の西の空と明け方の東の空の両方で観測に成功したのは私の彗星観測の経験のうちでこれが初めてである。これ以後、再び天気が悪くなり、彗星観測はしばらく中断した。
この頃日本の南海上では台風24号(Dale)が北上していた。この台風の影響で10日頃から本州南岸で強い雨が降り始めた。そして13日に台風は東海上に抜け、台風から優勢な高気圧が張り出して日本付近は強い冬型の気圧配置となった。彗星の再観測は結局この日の夕方になった。そして翌日の朝にも観測に成功した。この後、15日・16日の朝も観測成功している。
これらの観測についても観測の信頼性について検証を行った。その結果、彗星の像の確認についてはほぼ正しいらしいとの結論に達した。一部に長い尾を確認した観測もあるが、この長さについてはさすがに長く見積もりすぎのようである。そして光度についてはやはり空の状態の影響を大きく見積もりすぎているようで、実際の光度よりも3等級近く明るい6等から7等と見積もっている。光度は明るく見積もっているが、実際には非常に貧弱な姿であることは確認済みで、少なくとも8等よりは暗かったはずである。
10月6日は久しぶりに冬型の気圧配置になり、北西の季節風が吹くとともに空の透明度も急速に良くなった。この日の夕方の11日ぶりの彗星観測の時、彗星はうしかい座とかんむり座との境界に近いうしかい座δ星の北約2度の位置に移動していた。彗星の姿は10月26日の観測と比べて見ても非常に貧弱なものになっていた。光度は6等と見積もっているがあとから検討して見ると、8等程度であったようだ。翌日早朝の自宅からの観測では月齢25の月光の影響を受けたが夕方の観測よりは良く見えたように感じた。そして夕方には確認できなかった核も存在が確認できた。この観測では双眼鏡観測のほか、望遠鏡観測、写真撮影も行う「三位一体」の観測に成功した。三位
一体の観測は10月22日朝以来16日ぶりである。これ以後、再び天気の悪い日が続き、次の観測は台風24号(Dale)が去るまで待たなければならなかった。
彗星の次の観測は13日夕方になった。この時彗星はかんむり座に移動しており、θ星とη星のほぼ中間に位置していた。翌日の朝も観測に成功しているが空の暗い実家のほうが彗星の見え味は良いようだ。光度は6.5等程度と目測しているが、おそらくは9等程度だったのを大気による減光の効果を考えて現実の光度はもっと明るいと見なしていたのだろう。
15日の朝も彗星の観測に成功しているが、この日は空の透明度が前日に比べて明らかに落ちており、彗星の見え方はさらに悪くなった。そして空が明るいので双眼鏡よりも倍率の高い望遠鏡のほうが明らかに見え味は良かった。この時は倍率が高いほうが背景が暗くなるので彗星が見えやすくなるからだと考えていたが、彗星が暗くなったために双眼鏡(Kenko Artos)では観測の限界に近かったのが実情のようである。
この頃、望遠鏡観測では核から北に伸びたジェット状の構造を観測している。観測時は彗星の活動によるジェットだと考えていたが、10月末からこの頃までに広く観測されている細長く伸びた中央集光のようである。
この間に彗星はうしかい座からかんむり座を南東に向けて移動した。そして移動速度は1日に2度ほどから1度ほどと次第に小さくなっていった。そのため、赤経上で次第に太陽に追い付かれ、夕方の北西の空での地平高度が下がる代わりに明け方の北東の空の高度が上がっていった。それでもこの期間に関しては夕方の空の方が地平高度は高かった。ただ、夕方の観測は全て海洋研究所からとなり、強烈な市街光の影響を受けたため、観測に地平高度の利点を活かせたとは言い難い。
10月下旬に急激に暗くなった彗星はこの間にさらに暗くなった。光度は8等から10等程度で観測されているようで、「天文ガイド」によると、彗星の光度は11月1日・8.3等、2日・8.7等、3日・9.5等、4日・8.6等、5日・9.2等、8日・9.6等、14日・10.4等となっている。私の観測では2等から3等ほど明るく見積もっている。ただ、この間にさらに暗くなったことは確認しており、相対的な減光は追跡できていたようである。
この頃の彗星の姿は中央集光が細長く伸びた奇妙な姿を見せていた。これは、10月20日頃に伸びたダストの尾が痕跡的に残っているものと考えられている。私の観測でもそれらしい物を確認している。
−11月16日〜30日−
11月後半もテイバー彗星の観測は夕方の北西の空と明け方の北東の空の両方で観測が可能だった。しかし、彗星の移動方向は次第に南よりになり、移動速度も遅くなったために赤経の上で再び太陽に追い越された。このため、夕方の空での地平高度が低くなっていくかわりに明け方の空での高度が上がっていった。しかし、彗星はこの間に予報上では7等級から8等級と暗くなりつつあることになっていた。そして現実には10等級近くまで暗くなり、さらに観測条件が厳しくなってしまった。 この間、天気の方は南海上の前線の影響を受けることが多く、晴れてはいても空には雲が多く、透明度も良くない日が多かった。11月25日が満月だったこともあって21日朝の観測を最後にしばらくの間観測がとぎれた。
この節の最初の観測は17日朝になった。この日は大陸の高気圧が移動性となって足早に東海上に抜けたため、空には雲が多かった。それでも彗星の観測を行うことに成功した。この時は光度は7等、コマ直径は8分と観測したがおそらくは実際の光度は10等程度である。望遠鏡でも見え方は非常に貧弱で性能の限界に近いと感じていた。この日は東の空に雲が多かったために彗星の観測は雲に悩まされた。
次の観測は19日になった。この日は明け方と夕方の2回観測を行っている。彗星はかんむり座α星ゲンマの北約1.5度の位置にあり、光度は7等、コマ直径は5分と観測している。このひは空の透明度に恵まれ、北に20分ほどの短い尾を確認している。この観測については光度を9等から10等程度に下方修正する以外はほぼ実態を反映しているのではないかと考えている。
20日は高気圧が東海上に抜け、関東近海に低気圧が発生したため関東では天気が悪かった。しかし雨は遅くとも夜半前には上がり、21日朝2時頃には雲が切れ始めた。そして4時過ぎには晴天が広がり、透明度もよかったので彗星の観測を行っている。彗星はかんむり座γ星の北約1度の位置にあり光度は7.5等、コマ直径は5分で北に15分ほどの短い尾を観測した。これも光度を10等程度に下方修正する以外はほぼ実態を反映していると思われる。
この間に彗星はかんむり座をさらに南下した。そして夕方の西の空での地平高度が下がっていくとともに明け方の東の空の高度が上がり始めた。
11月になってからの彗星は細長く伸びた中央集光が特徴的だったが、その中にあるはずの核の確認が非常に困難だった。このため、彗星の位置観測は非常に困難だったようで、軌道計算でも残差が非常に大きくなったようだ。そして計算された軌道も楕円になったり双曲線になったりしており、その正確さに不安が感じられた。
核が不鮮明だったのは核からのガスやダストの放出がほとんどなくなっていたことが考えられる。そして10月20日以前に放出されたダストがまだ核の周囲に残っており、これが細長く伸びた中央集光を形成していると思われる。
−12月−
私は12月1日から8日までの海洋研究所の研究船「淡青丸」の航海に参加した。双眼鏡(KenkoArtos)を持っていき、彗星の観測をすることを考えていた。
日本近海は基本的に冬は海況がよくない。これは北西の季節風が長時間吹くために波が高くなるからである。また、強い寒気が入ると日本海だけでなく、東シナ海や本州南方海上でも季節風の吹き出しの筋状の雲が発生する。このため、天気も悪いことが多い。海況や天気が良くなるのは高気圧が移動性となって日本付近まで移動してきた時だけである。
航海時、日本付近は強い冬型の気圧配置になっており、本州南方海上では海況も天気も悪かった。
テイバー彗星の観測は4日早朝に行った。この観測は前回の観測から実に2週間ぶりである。この日は下弦の月が出ていたが、空の透明度は良く、最微等級は肉眼では6等、双眼鏡では10等以上が確認できた。彗星はへび(頭)座に移動していた。彗星の存在は確認できた。見え方は空の状態が良いにもかかわらず11月の自宅の観測よりもさらに貧弱になっていた。この時は光度は8等と見積もっているが、あとから検討して見ると明らかに明るく見積もりすぎで、10等程度が適当と思われる。双眼鏡は大口径ではないので存在の確認以上のことはできなかった。
15日の観測は前回12月4日早朝の淡青丸の観測から11日も経っており、彗星の像はさらに見にくくなっていた。12月4日の観測までは曲がりなりにも双眼鏡で彗星の像を確認できたが、空の状態が良く、双眼鏡でも9等から10等級の星が確認できたにもかかわらず双眼鏡では彗星の像は確認できなかった。そして望遠鏡を使って何とか彗星の像を確認できている。この時彗星はへび(頭)座とヘルクレス座との境界付近にあった。光度は9等から10等と見積もったが、これより暗いかもしれない。コマ直径は3分、拡散状だった。
テイバー彗星は結局再び明るくなることもないまま、12月になってさらに暗くなった。そして12月後半には小口径の望遠鏡でも観測できなくなっていった。
12月後半になってからの観測は12月20日早朝に行っている。そしてこの観測が私にとって最後のテイバー彗星の観測になっている。この観測は12月15日早朝以来5日ぶりの観測で、11月7日以来久しぶりに写真撮影を行った。ただし、彗星が暗いので焦点距離105mmだけで、露出時間は1分、2分、3分、5分で撮影した。過去、1987年末に焦点距離105mm、露出時間5分で当時明るくなっていたボレリー彗星(19P/Borrelly)を撮影し、9等級だった彗星の像を確認することに成功している。10等級より暗いと思われるテイバー彗星の像を確認できるかはわからない。
望遠鏡では彗星は10等級、コマ直径2分だった。KenkoArtosでは彗星の像は確認できなかった。空の状態は最微等級5.5等、シーイングも透明度も良好だった。このため、望遠鏡で確認した彗星の像は確実と考えている。
この観測の後、海洋研究所での仕事が忙しくなり、明け方の彗星の観測には手が回らないまま明け方の空が月光の影響を受けるようになってしまった。そして月光の影響がなくなった1997年1月上旬には彗星はさらに暗くなるため、この観測が最後になると思われる。
原口 悟
HARAGUCHI Satoru