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− 徒然 −

働くこと
(.... 金を稼ぐこと)


最初に、ちょっとだけ前書き。

 のっけからタイトルを「働くこと」「(.... 金を稼ぐこと)」なんて 取ってつけたようなものにしてしまいましたが、 これはとりあえず、このページで書くことは「家事労働」「育児労働」といった 無償労働のことではなく、「金を稼ぐという行為」を指しているということです。
 家事労働や育児労働(それと、介護労働やボランティアも)が 「働くこと」かどうかといった議論は、私にとって実際、どうでもいいことです。 それは各自の「働く」という言葉に対するイメージの問題だと思ってます。 だからこのページでは、なるべく「働く」という言葉は使わないようにしました。

 また、今回の文章とも少し関係あると思うので、 私個人の無償労働についての考えを少し書いておきます。
 家事は、生きていくために誰もが必要な、当たり前のことに過ぎません。 必要最低限の家事でも生きていくことは出来るし、 最近は電化製品の普及で、五十年前の何十分の一の労力で同じことが出来るでしょう。 あるいは家事に必要以上に凝るんだったら、それは趣味の領域です。 また家事が嫌いな人は、金で解決することもできます。 育児は、子どもを育てるために必要な、当たり前のこと。 経験はないですが、家事なんかより何十倍も大変なことだと思ってます。 介護については、未だ考えがまとまっていません。

というわけで、前書きは終わりです。


 しばらく前のことだが、掲示板に 「わたしの場合、お気楽な状態=経済的に誰かに依存してない状態、 という感じがずっとある」ということを書いた。 ずっと昔から そうなのだ。 自分が専業主婦になるのも、相手が専業主夫になるのも嫌だ。均等に嫌だ。

 もちろんこれは、自分自身に限っての話だ。他人がどうだろうと全く関係ない。 私の上記の文章を読んだ人から「金を稼ぐことが偉いと思っているの?」 という質問があったが、別にそんなことを思っているわけでもない。 ただ単に、自分は「誰かが稼いだ金を使って生活し」「自分は金を稼がない」 という生活が、とても気の重いものに感じる、というだけの話だ。

 理由はいくつかある。

 まず、私は、金を稼ぐということは結構しんどいことだと思っている。 仕事をするということは、楽しいこともたくさんあるが、 苦しいことや嫌なこと、泣きたいようなことも同じようにたくさん、ある。
 それを例えば自分だけが背負い、夫や子どものため... と思って 一人で耐え忍ばなければならないという状況は、勘弁して欲しい。 また自分が嫌なことを相手に背負わせるのも嫌だ。 金を稼ぐ楽しさやつらさは二人で共に分かち合い、 もしどちらかがそれに疲弊し切った時は (どんなに金を稼ぐことが好きな人でも、そんな状況になることはあり得ないとは いえないと思っている)、一時的に、より元気なほうに依存する。 役割が固定していなければ、何か突発的な問題が起こった時も柔軟に対処しやすい。 役割が固定してしまっていれば、対処も後手後手に回る。

 もちろん、自分がやりたくない → 相手にもやらせたくない → 二人ともやらない、 という選択肢もあるだろう。家族の誰もが働かず、生活保護を受けるという形で、 国から貰った金で食っていく。 ただこれも結局は、誰かが稼いだ税金だ。 他人の稼いだ金で食っていることに変わりはない。 別にそれが悪いというわけではないが、できれば私は自分の稼いだ金で食いたい。
 あるいは、家族全員で、公園や駅でホームレスをするという暮らしもあると思う。 でも、私にとってそれは現実的でない。 仕事をして稼いで生活できるのであれば、そちらの方が楽な気がする。 もちろん、やってみなければわからないことはあると思うが。
 また、金を稼ぐことはしんどいこと、という前提を崩す方法もある。 なるべく金を遣わず、住居費も物価も安い地域へ移住して、 二人で、「疲弊し切ってしまわない」程度の仕事をする。 「金を稼ぐことは結構しんどい」のループから「一抜け」を宣言するのだ。 これはまだ現実的だ。 というより、条件さえ揃えばある意味理想的だと思う。

 といろいろと書いたが、これらは全て、 自分も相手も健康で元気に働くことのできる場合の選択肢だ。 相手が病気になって働けない状況になったら、私は相手の生活の面倒を見る。 それは自分にとって「そうしたい」と思う、ごく自然な感情、行為だ。 おそらく相手にとってもそうだと思う。 というより、互いにそう感じ合えない相手とは、 私は、パートナーシップは築けない。

 こういうことを考えてしまうのは、おそらく、私は本当は かなり依存心の強い 人間だからだ。 依存できそうな状況だと、ついふらふらと依存してしまう。 それは最初、とても心地よい関係だ(もちろん、私にとって。 相手にとってどうかは、知らない)。 が、時間が経つにつれ、確実に、とても息苦しい関係に変化してしまう。 ほとんどの場合、共依存ではないと思う。 たぶん私が一方的に依存していたんだろう。
 このような関係は、過去に何度も経験してきた。 心の奥で今だそれを求めているという弱さを私は持っているんだろうけれど、 向いてはいない、それは最終的に私を苦しくさせる、 と今ははっきりとそう思う。

 またさらに大きな理由としては、自分で金を稼いでいないという状況が長く続くと、 自分で金を稼げなくなるだろうという怖さがある。 これは結構、確信に満ちてそう感じている。
 これで何が問題かというと、経済的依存が知らず知らずのうちに当人を縛る 精神的な枷になってしまうということだ。
 いろいろあって、相手とはもうこれ以上一緒に人生を歩いていけないと思う。 だけど、別れるとなると、自分には生活費を稼ぐ手段がない。
 生活費を稼いでくれる、別の相手を見つけるか?
 それとも、生活レベルが何分の一になっても、すっぱり別れるか?
 そこそこのマンションに住み、 普通に家事や趣味のことだけをしていればよかったのが、 6畳一間風呂なしのアパートに住んで、決して高くはない賃金で一日中働いて、 休日は家事だけで終わる... という生活に耐えられるか?
 また子どもがいればさらに大変だろう。 (ただ、子どもは生活の励みになることも多いとは思う)。
 ... と、そういう、馬鹿げたことに悩まなければならなくなってしまう。 いや、悩む必要はないのかもしれないけれど、私はたぶん、結構悩むだろう。 悩んだまま、ずるずると不本意な一生を過ごしてしまうかもしれない。 その程度の人間なのだ。
 もちろん、10年ブランクがあろうが、さっと現役に戻ってきちんと金を稼げる人もいるだろう。 だた、そういう人はおそらくあまり多くない。少なくとも私には無理だ。 多くの人は、働き続けることにより、 必要な技量を維持あるいはブラッシュアップしていると思う。

 要は、私にとって「金を稼ぐということは結構しんどいこと」だが、それ以上に、 「金を稼がない、稼げない、という状態はものすごくしんどいこと」 だということだ。 一時期私は、仕事で精神的に参って、 「こんな状態で、働き続けることなんて出来るのか?」 という状態になったことがある。その時の怖さは今でもよく覚えている。 まあ、ある意味病気に近い状態だったのだが、その時に自分の弱さを実感した。 私はたぶん、濁流に流されながらそれに身を任せて、 目を開けていられるような強さを持たない。 少なくとも、今はそれがとても怖い。 漠然と、この先そういった強さを持つことができたらとは思うが。
 だから、とりあえずは健康で、なんとか働いていられるという今の状態は、 精神的には本当に楽なのだ。ありがたいことだと思う。

 精神的に自分の足で立てているという実感は、気持ちいい。
 そして私の場合は、健康で働ける限りは、経済的に他に依存していない状態でないと、 その実感は感じられない。

 繰り返すが、他人はどうでもいいのだ。 精神的に他に依存していることが気持ちいい人もいるだろうし、 そうしないといられない人もいるだろう。 (つらい状態だろうなあと思う)。 あるいは経済的に他に依存していても、 精神的には全く依存していないという状況を生きられる人もいるだろう。 人それぞれである。

 ただし年金制度。これは何とかして欲しい。 第三号被保険者(サラリーマン世帯の専業主婦)の保険料納付は免除され、 その他の勤労者全員が、専業主婦の年金を肩代わりしている。 自営業者の妻、共働きサラリーマン世帯の妻、単身者、学生も含めて、 全ての保険料納付者が専業主婦の保険料を負担している。 勤労者平均で、7〜8千円/月の負担... だったように思う。
 病気や怪我、介護等、いろいろな理由で、金を稼ぎたいのに稼ぐことができない、 そういう人に対して援助するのは福祉の仕事だろう。 そのために私の納める税金が遣われるのは、何の異論もない。 ただ、自身で「稼がない」選択をしている人たちの保険料を、 その他の、金を稼いでいる人たち全員で負担する。 これは不公平だ。 年金制度にとどまらない、政策全体の見直しが必要と思う。


ずっと昔から
 十代の頃、つきあっていた相手から「結婚したら、毎朝僕のネクタイを選んでね」 と言われたことがある。今でも覚えているほど、 強烈な違和感と憂鬱な気分を始めとした、 なんとも言えない複雑な感情を抱いたことを覚えている。 相手にとってごく当たり前に存在する「幸福な家庭」像、─ 妻が夫の世話をし、 夫はネクタイさえ自分では選ばない ─ が、自分にとってこれほど 激しく引っかかりを感じるものということを、その時初めて具体的に実感した。
かなり依存心の強い
 私の両親はずっと不仲で(後に離婚した)、私はあまり父とは関わりを持たなかった。 母もそのような状態に疲れていたのだろう、 子どもたちを無条件で甘えさせるといった余裕がなかったように思う。 だから、甘えたい、無条件に庇護されたいという感情が、 今でもどこかにあるのかもしれない。
 ただ、だからといって今さらそれが何か?という気持ちが正直なところだ。 誰だってその人なりの様々な過去を生きてきている。 両親は、不幸な結婚をしてしまった、不幸な人たちだった。 彼らだって、彼らなりの様々な過去を持ち、それに振り回されながら生きた、 私と同じ不完全な人間なのだ。 今は二人とも、別々の人生を和やかに生きている。 母とは、仲良しだ。さっぱりとした気のおけない女友達という感覚に近い。 父については詳しいことは知らないけれど、 おそらく穏やかに生きているのだと思うし、そうあって欲しいと思う。

2002/3/13 記


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