− 徒然 −
最近人と新しく知り合う機会が多いせいか、 同居人のことをいきなり「旦那さんは...」などと勘違いされることが多い (確かに、勘違いして当然だとは思う)。 私も短い説明で納得してくれそうな相手に対しては簡単に説明したりするが、 たまたまタイミング的に億劫だったり、 あるいは説明しても簡単に納得してくれなさそうな相手には勘違いさせたままにしておくしで、かなりいい加減なものだ。 そういう人たちがここを見る機会はあまりないとは思うが、 せっかくなのでこの機会に自分の結婚観について書いてみようと思う。
「結婚しない」理由は簡単で、私は「自分の」結婚に関して興味がないからだ。 それで何も問題がなければ、興味のないことをわざわざしなければならない理由はない。 ここで「自分の」と書いたのには理由があって、「他人は」なぜ結婚したいのか、 あるいはしたくないのかとか、 なぜ結婚するのかとか、しないのかということには、それなりに興味があるからだ。
ここで安易に「結婚」という言葉を使うのは問題があると思うので、 まず結婚の定義から始めてみる。私の考える「結婚」の定義は至極単純で、 ただ「本人が結婚していると思っていること」。 一般的にはおそらく、「籍を入れている」(というのも実はいい加減な表現で、 籍は入れるものではなく作るものだ)というのが一番多いのだろう。 しかし籍を入れている人に対しても「そんなのは結婚じゃない!」 なんて仰る人々も多いらしいし、一般的とはいえ必要条件ではないらしい。 たぶん「愛し合っている」とか、「結婚を披露した」とか、 「ずっとその相手と生きていきたいと思っている」とか、「同居している」とか、 「子どもを産む気がある」とか、「女が、男側の両親の介護をするつもりがある」とか、 「男が、女と子どもを養う気がある」とか、 あるいは人によっては私なんかが思いもかけないような条件があったりもするんだろう。 そういう定義は人によってさまざまなはずだから ここではとりあえず置いておいて、「結婚」とは「本人が結婚していると思っている」 という定義にしておこうと思う。違和感のある人もいるだろうが、 基本的に、私自身その定義が一番しっくりとくるので。
で、と書こうと思ってはたと困った。あとは何を書けばいいのだろう? 好き、嫌い、する、しない、ということに対して人はその理由を説明しやすい。 だけど、興味がない、ということに対して、私はこれ以上何を言えるのだろう? なぜ興味がないのか、ということを考えてみたが、 これも後からこじつけたような理由しか出てこない。
一応これでも昔は、今とは違う感覚があった。 もっと積極的な、好き、嫌いに属する感覚だ。 例えば一人暮らしが好き、他人と暮らすのは面倒くさそう、 夫婦でワンセットと見なされる感じは嫌い、 「××さんの奥さん」なんて呼ばれ方は嫌い、 「××家の嫁」も同じく嫌い、 男女のどちらかが、というよりほぼ100%に近い確率で女が名前を変えるという現状を 「姓は自由選択であり、等しく男女平等な制度」と言い切る政治家への怒り、 それを当たり前のこともしくは美徳と捉える「世間」(これも曖昧な言葉だが)に対する違和感、 そしてそれらを全て内包した結婚という制度あるいは文化に対して付いてまわる 否定的な感覚。
しかし今現時点で、私はこれらのことについて実は大して興味がない。 はっきり言ってしまえば、すでに自分とは関係のないことだと感じている。 以前は「結婚」を自分自身に関わるものとして意識していたから、 怒りやマイナスのエネルギーが湧いてきていたのだろう。 もちろんそれは現状を改革するために大きなパワーだ。 必要と思う人は、どんどん自分の住みやすい世界に変えるべく動いていけばいいと思う。 ただ私個人にとって、 制度あるいは文化としての「結婚」にはすでに興味がない、 自分とは関わりのないことだと感じているというだけのことだ。 ただ、現状ではまだまだ一般的には無視できない不当な制度が存在する。 そのことについてはまた別の機会に書いてみたいと思う。
余談だが、ある制度や文化がおかしいと感じたとき、 それ自体を変える方向で動く方法もあるし、 それを無視することで形骸化していく方法もあると思う。 ただ私自身はそういうことを考えて動いているわけではないけれど。
非常に誤解を招く書き方かもしれないが、 私は結婚する・しないは当人の趣味の問題だと思っている。 だから、したい人はすればいいし、したくない人はしなければいい。 私のように興味のない人は、自分がラクなように流れていればいい。 「それはあなたが非常にラッキーだったからそうできるんだ」 と反論する人もいるかもしれないが、 そう言われても私にはどうすることもできないので、 アンラッキーを背負ってしまった人々は少しでもラッキーな状態に近づくべくがんばってください、 と思うことしかできない。 私があなたのことを好きなのだったら、何かお力になりたいとは思います(本気で)。
私自身に関しては、とりあえず、戸籍には興味がないこと。
結婚式や披露宴のようなイベントにも興味がないこと。
そういったものが何かを保証してくれるという考えは持っていないこと。
昔から、一般的な「結婚」というものに対する憧れは持っていなかったこと。
生活をともにすることについては、何だか楽しそうだと思えたこと。
親も別に反対はしなかったこと(かなり心配はしたようだったが)。
そしてそれで、これまで特に何も困ったことはなかったということ。
.... そんなところだ。
生活をともにすることについても、
そうすることにお互い意味を感じる限りはそれを継続すればいいし、
そう感じなくなるか、
あるいは片方もしくは双方がその状態に苦痛を感じるようになったら、
解消すればよいと思っている。
... なんて、実際問題としてそれほど単純な問題でないことはわかってはいるけれど
(他のことはともかくとして、子どもを産み育てることを考えに入れると
やはり生活をともにすることの意味は大きいと思う)、
基本的にシンプルに考えていきたい。
あんまり難しく考えてしまうと幸せになれない。
と、これはついゴチャゴチャ考えてしまう自分に対しての戒めだったりもする。
そして逆に、他の人の結婚観についてはかなり興味がある。 これは結婚観に限らないが、自分と考えが違う人の話を聴くこと、 それも自分の内面ときちんと対話し、「考えて」いる人の話を聴くことが、 私はかなり好きな気がする。 あるいは自分に対して心地よいことを本能的にわかっている人と話すのも、 それはそれでおもしろい。 逆にきちんと「考えて」いると自分では思っていて、 その時点で思考停止している人と話をするのは、かなり苦手だ。
そういえば大昔、「結婚っていうのはね、あなたが思ってるようなモノじゃないよ」 なんていきなり説教されたことがあった。 文章だけ読むと相手はオヤジのようだが、結婚経験なしの同年齢だったはずだ。 相手は会社の同期だったもの。 なぜ私はあの時、この男と二人で酒を飲むようなシチュエーションだったのだろう? もうあまりに昔のことで思い出せない。もちろんつきあっていたわけでもない。 どうでもいいが知識だけで蕩々と語る人、 自分の体験や嗜好を過度に一般化してそれに全く気がつかない人、 できればそういう人々とはあまり関わりを持たずに生きていきたいと思う。 理由は、単に私が楽しくないから。
ちなみに「どうして結婚しないの?」と尋ねてくる人で、 なぜか同じ質問を何度もしてくる人が時々いる。 「単に興味がないので」とその都度ちゃんと正直に答えているのだが、 次の飲み会の席などではなぜかまた同じ質問をされたりする。 単に忘れっぽいだけか、 あるいはおそらく「本当はそうではないはず」と思っているんだろう。 でも後者だったとしても、このページと同じで、 私は「単に、興味がない」理由を延々と語ったりできないからなあ。
まあ私も、通りすがりの人、例えばタクシーの運転手さんとか、美容師さんとかには 「うちのが」とか言って適当にぼかしたり (考えてみれば、「うちの」とは何て日本的で便利な言葉なんだろう?)、 ショップのメンバーズカードなどの「未婚・既婚」の欄にはその時の気分で適当に○をつけたりで、 実際はもうかなりいい加減だ。 今では、私と同居人の関係を誰がどう考えようが全く気にならない。 自分の身に何か具体的な面倒が降りかかってこない限りは。
2001/11/4 記