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− 徒然 −
最近読んだ本 2002/7/21 編
割と宗教系っぽい本を読んでました。
『口だって穴のうち』 内田春菊
『魂の伴侶 ─ ソウルメイト』 ブライアン・L・ワイス
『宗教なんかこわくない!』 橋本治
『李白の月』 南伸坊
- ■ 『口だって穴のうち』 内田春菊 角川文庫
→ 目次
-
人に貸していた本が戻ってきたので、ぱらぱらとめくっているうちに結局全部読んでしまった。
2年近く読んでないと内容をおぼろげに覚えてるようで具合よく忘れていて、
一度読んでるという安心感もあるせいなのか、テンポよく読める。
南伸坊、養老孟司、嵐山光三郎、筒井康孝、大川豊、島森路子、桃井かおり、岸田秀、各氏との対談集。
「ふつう」の感覚が「世間」と違う春菊さんの本、相変わらずおもしろいです。
最近正常と異常の境界についての話なんかしてたせいか、
「ふつう」とか「世間体」に関する話などに、結構、感じるものがありました。
嵐山
逆にふつうに育ってきた人っていうのは、自分を変人だと思われたがるな。
内田
そうそう、なんでもないのにね。
嵐山
飲み屋でよく男同士がさ、「おれもふつうじゃないけど、おまえも変人だなあ」
とか言い合って喜んでいる(笑)。
内田さんの場合は、そういう逆境にもめげずにふつうであろうとしたんだよね。
だから、自分のことをふつうだと思うっていうのはとても大事なことだよ。
内田
子どものころに、私が変人、変人って言われてどれだけいやな思いをしたかっていうのは、
それをうらやましがる人にはやっぱり見えないんですよ。
私にとってはこれがふつうなのに、なんでこんなに言われるんだろうってずーっと思ってた。
「ふつう」は本来とても個人的なものだと思う。
ただ、多数決による「ふつう」が抑圧的な意味を持つところから歪みが生じてくる。
そして、その多数決による「ふつう」から外れた人を差別し、後ろ指を差して自分を安心させ、
そのくせ別の面ではうらやましがってみせる。
この対談集を読むと、そのおかしさがよく見えてくる。
それからもう一つ。政府も馬鹿な少子化対策なんてやってるより、この本とか、
あるいは内田春菊の有名な(?)育児漫画「私たちは繁殖している」
でも配ればいいんじゃないか? なんて思ったりして。
この人の書くものを読むと、「子ども産むのってすんごくおもしろいんじゃないか?」
なんて思える。子ども嫌いなわたしでさえ。(笑)
- ■ 『魂の伴侶 ─ ソウルメイト 傷ついた人生をいやす生まれ変わりの旅』 ブライアン・L・ワイス PHP文庫
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人に貸してもらって読んだ本。
ソウルメイト ─ 愛によって永遠に結ばれている人たちの物語について書かれている。
魂は永遠であること。輪廻転生は存在すること。
愛によってのみ人は真実を知り、癒されるということ。
前世療法という言葉は知っていた。そしてある意味、胡散臭くも感じていた。
ただわたし自身はこういった類のものを、
「科学」(似非科学)と捉えて非難するのは見当違いだと感じていて、
ある意味、純粋に「宗教」なのだろうと思っていた。
そしてこの本を読んで、その感を強くした。
そう、宗教なのだ。科学ではなく。
(一応書いておくと、もちろんさまざまな「前世療法」があるのだろうとは思うし、
中にはお金目当ての怪しいものも多々あるとは思う。
ただわたしは、この本を読んでそうは感じなかった。)
何を信じ、どう考えれば心が平安を得られるのか、その方法の一つを説いたものに過ぎないと思う。科学的に証明できないから間違いだとか、そういった類のものではないのだ。
著者は「愛」によってのみ、人は真実を知り癒されると書く。
「愛」という言葉はともすればとても陳腐に響くけれども、
家族、子ども、恋人、配偶者、.... を慈しむシンプルな気持ちを大切にすることが幸福につながるということだ。そう、わたしは理解した。
まったくその通りだと思う。
- ■ 『宗教なんかこわくない!』 橋本治 ちくま文庫
→ 目次
-
というわけで(前書評から続く)、宗教についてちょっと考えたついでに、部屋の隅に未読のまま積まれていたこの本を読んだ。
わたしは橋本治は考えることがほんとに好きな、頭のいい人だよなあ、と思っている
─ というより、かなりぶっ飛んだすごい思想家だと思っている、と言ったほうが近いかな。
これはその橋本治がオウム真理教および宗教について書いた本。
初出は 1995 年。
おもしろかった。一気読みしてしまった。
著者の言う「宗教」は、わたしが上で書いた「何を信じ、どう考えれば心が平安を得られるのか、その方法を説いたもの」という定義とは違い、もっと狭義のものだな
と思っていたら、最後の最後でバタンとひっくり返された。
そう、著者は
「宗教とは、まだ自分の頭でものを考えることが出来ない人間のためのものだ。」
「宗教とは、近代合理主義が登場する以前のイデオロギーである。
だから、近代合理主義が登場した段階で、宗教の生命は終わるのだ。」
などと書いているし、一貫して(おそらく、現在の)「宗教」には批判的だ。
しかし最終章で、この本はおもしろい広がりを見せる ─
「さて、これで宗教のあらかたは片づいた。残るは、“科学”だけである」。
ここからリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』の話と、輪廻転生、魂の永続性の話が絡んでくる。
著者はドーキンスの利己的遺伝子をもって、
「科学というのは、もしかしたら、仏教を知らないキリスト教徒のする、
“宗教によらない仏教へのアプローチ”なのかもしれない」という。
うーん。そうかー。そういう捉え方もあるんだなあ。
利己的な遺伝子 = 仏教の輪廻転生。
どちらも、「自分を遺す」ということをどう捉えるかということだしね。
そして人間の「思想」こそが、遺伝子を遺すための主体であるとのこと。
そして遺伝子の「突然変異」という重要なファクターを考える上で出てくるのが、
「遺伝子に突然変異を起こさせる“外界の状況”」であり、
「こうなると、もう話は
「遺伝子という“女”を妊娠させる、外界状況という“男”」である。
つまり、遺るのは遺伝子だが、遺すのは頭 ということである」
と
(下線部、本文中では傍点)。
まあそうだ、どの男の子どもを産むかは、女が自分の頭(=己の「思想」)で、
もしくは社会的な価値観(=社会的「思想」)に沿って決めることだ
(うーん微妙だなー)。
選ばせるのは男、選ぶのは女。
と言ってしまうと実も蓋もないけれど。
ついでに、「自分の子供を遺したい」と、「自分の思い出を人の胸に遺したい」
とは、実は人間にとって同じように切実なことで、人間の遺伝子の遺し方にはこの二つがある、
そのようにして、“遺伝子である人間”は、“輪廻転生”の中に入っていくことも出来る ─ と書かれている。
生物的な遺伝子だけが輪廻転生に関わるわけではないということだ。
と、なんだか最後に読んだ部分の印象がとても強くてそこばかり書いてしまったのだが、
日本人にとっての宗教の位置づけの話や、
本題(?)であるオウム真理教の話
(特に麻原彰晃の心理分析 ─ 話し言葉のイントネーションからの性格分析がおもしろかった)、
仏教、キリスト教をはじめ現宗教に関するかなりぶっ飛んだ概説、
生産と宗教に関する話など、全般的にとてもおもしろかった。
- ■ 『李白の月』 南伸坊 マガジンハウス
-
南伸坊が、「珍しい果物のような」不思議な味わいの中国の物語、「志怪」「伝奇」
からよりすぐったものを、漫画とエッセイで綴っている。
本当に不思議な味わいの物語。
「好奇心を満たす」という言葉があるが、この中国の物語を読むと
「好奇心が取り残されて」
しまう感じなのだ。
お話はまだまだ続くはずと、いそいそとページをめくるとそこでぷつんと終わりだったりする。
「え? これで終わり?」
という、この不可解さ、理不尽さ、不条理さ。
作者は何を言いたかったのか? 何かを伝えたかったのではないか?
そういった思いも、読み進むうちにだんだんとどうでもよくなっていく。
ああ、不思議だなあ、人間って不可解だなあ。そういう感じ。
昔話、伝奇というのは大概訳の分からないなりにもとりあえず「訓話的」「教訓的」
な味わいを忍ばせたものが多いと思うが、そういう嫌味な(?)味付けがない。
ただただ、不思議な読後感。
それに、南伸坊の絵の味わいと、一つ一つの話に付されたエッセイが味を添える。
中国の「志怪」「伝奇」
はこれまで読んだことがなかったけれど、この南伸坊の本を読むと、
その不思議さに心が囚われる。短い詩のような雰囲気のものも多い。
ナンセンスで、そっけなくて、よく意味がわからないなりに感じるものがある。
そしてエッセイでは、南伸坊が人間の変性意識様のものの不思議さを書いているものが多い。
おもしろかった。
続きはないのかなあ。あったら読みたい。
一番好きだったのは、「家の怪」という物語に出てくる拱手(もみ手?)をする猫と、
「花魄(かはく)」という物語に出てくる、人の首のような花を生じる樹。
それから、エッセイの中で出てくる「人魚」というお話。
311 人 魚
南海の果てに鮫人がいる。
水中に住み、魚の形をして、機織りの手を休めることがない。
泣くと、眼から真珠がこぼれ落ちる。
これだけ(笑)。上記は『捜神記』
という本に載っているお話らしい。
あと、森銑三『物いふ小箱』、刈谷新三郎(森銑三筆名)『十六桜小泉八雲怪談集』
も読んでみたいと思った。
2002/7/21 記
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