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千と千尋の神隠し

監督:宮崎駿
出演(声):柊瑠美、入野自由、夏木マリ、菅原文太、内藤剛志、沢口靖子

 どこにでもいそうな、やる気のなさそうな10歳の女の子・千尋が、 トンネルの向こうの不思議の町に迷い込み、生きるために追い込まれるうちに、 次第に '自分自身の力で生きる' という強さを獲得していくというストーリー。

 私はこの監督の作品は基本的に好きです。でもたぶん半分くらいしか見ていない。 その程度でも、この映画の中には 'この監督のこれまでの映画' のモチーフを、 たくさん感じました。 もののけ姫や、隣のトトロ、風の谷のナウシカ... 、その中で生きていた 不思議な生きものや気持ちの悪い生きもの、一生懸命な生きもの、 つかみどころのない生きもの、... そんな感じの生きものがたくさん出てくる。 もちろんそれ以外の、この映画独特の生きものもたくさん出てくる (その中でも日本古来のやおろずの神様たちがおもしろい)。 そういった生きもの全部に、甘すぎない、でも確かな愛情が注がれて描かれているのを感じる。 こういう小さなモチーフの部分でなんとなくホッとする感じをもつ人も多いんじゃ ないかな。

 主人公千尋は本当に 'ふつう' の顔をしている。 可愛いわけでも、きれいなわけでも、格好いいわけでもない。 そんな 'ふつう' の女の子が、物語が進むにしたがってどんどん魅力的になっていくのがいいです。 最初、彼女はふつうに、怖がりだったり、意気地なしだったり、混乱したり、泣きべそをかいたりする。 だけど生きていくために追い込まれ、自分の中の強さに気づき、顔つきがどんどん変わっていく。 中盤からのとても意思的な顔、表情は、冒頭のふてくされた顔とは別人のようです。 ふつうの女の子なんだけど、ああ、いいなあ、と思う顔になる。

 不思議の町で働くことになった千尋は名前を取り上げられ、新たに '千' という名前を与えられる。 千と呼ばれ千として暮らすうちに、元の名前を忘れていってしまう千尋。 元の名前を忘れることで、その名前で暮らしていた頃の自分をも忘れてしまいつつあることに気がつき、千尋ははっとする。 ハクが千尋に、'名前を奪われることで支配されるんだよ。名前を忘れちゃ駄目だ。' と言う。 このあたりゲド戦記ですねぇ(笑)。

 個人的に、私は自分の名前が好きです。 日本では女性の結婚改姓という慣わしがあり、女性差別だの何だのと言われるけれど、 私の場合に限ってはそんな難しいものではなく、 単に私個人と自分の名前が一セットになっていたいということ、 そしてたまたま戸籍にも興味がないので、何の苦痛も苦労もなく暮らしていけています。 まあこの先どうなるかわかりませんが。
 また、たまたま自分がラッキーなのは非常に自覚しているので、 夫婦別姓などというくだらないことなんて(敢えて 'くだらない' と言います。 だって強制別姓じゃなくて選択同姓・選択別姓なんだし。) 早く審議通れば(通せば)いいのにと思うし、 実際の生活の中で苦痛や苦労を重ねている、おそらくは数少なくない人たちが、 早く楽になればよいのにと思います。
 人はそれぞれなので、自分の名前なんて記号に過ぎないと思う人もいれば、 それまでの人生と重ねて愛着を持つ人もいる。 名前が変わることで人生リセットできるようでうれしい、という人もいれば、 さらに進んで、彼のものになる感じがうれしい、という人もいるらしい。 自分の話をすれば、女が名前変えるの当たり前でしょう、何考えてるの、 と私を露骨に非難した親類もいるらしいです(幸い私は直接は聞いていません)。 まあ重ね重ね人はいろいろなので、それらの考え方を聞くと 'ああ、なるほどなあ' とか 'こういう人もいるんだなあ' と思う。 ただ私は前述したようなタイプなので、本来の名前を奪われ違う名前で呼ばれることで、 '本来の名前で呼ばれていた頃の自分' をどんどん忘れてしまう千尋の感覚がとてもわかる気がしたのでした。

 ... あああ、すごく脱線しちゃった。(笑)

 さて銭婆の言葉に、'一度あったことは忘れないものだ' というのがあり、 最近ちょっと記憶について考えることがあったので、 この言葉に感じ入った部分がありました。 感じたこと、考えたことは脳のどこかに残っているといわれます。 思い出せないのは、ただ単にその記憶に対する回路が切れて、あるいは錆びて しまっているだけなのだと。
 ただ、人間は全ての記憶を意識の上に持ったまま生きてはいけない。 つらいこと、悲しいことは無意識の中に埋もれさせていかないとうまく生きていけない。 そうやってうまく回路を切ったり錆びさせたりすることで、 人はなんとか生きていけるんでしょう。 でもどこかでそれらの記憶は自分を作っていて、時々、 人はそのせいで幸せになったり不幸になったりする。 時にはうまく回路を切れない状態になってしまう人もいて、それはとても苦しいことだと思う。 脳はなぜ自ら幸福になる道を絶とうとするんだろうか。 そういったことを思うとき、人間の精神はとても厄介なものだと思う。

 好きなシーンはたくさんあったけど、中でも、 千尋が泣きながらおにぎりを食べるシーンの切なさ、 花の回廊を走り抜けるシーンのめくるめくような息苦しさ、 ハクが本当の名前を取り戻すシーンの圧倒的な解放感、 海の上を電車が音もなく進むシーン、 特に、その電車が夕暮れの水上を走るシーンがとてもきれいで叙情的で、好きです。

2001/7/31, 港北109シネマズ
2001/8/3 記


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