『柳生十兵衛・魔界転生』:幻の代表作


1981年に新宿コマ劇場で上演された『柳生十兵衛・魔界転生』は志穂美さんの作品の中では、映画・TV・舞台を通じた中での最高傑作と言ってよい思います。最高傑作が舞台であり、もう二度と観ることが出来ないというのは、ファンにとって(それから、おそらく女優としての志穂美さんにとっても)大変に不幸なことです。しかしながら、逆にもう二度と観ることが出来ないということによって、この作品を観たという経験そしてその感動が(観ることができた)ファンにとって大きな想い出となっているのです。このホームページでは志穂美さんの個々の出演作品についての紹介はそれほどの分量を割いてはいませんが、この作品については、もう二度と観ることができないという事情を考慮して別ページを設けて詳しく説明することにします。

『柳生十兵衛・魔界転生』

新宿コマ劇場 1981年7月3日〜7月28日

企画:角川春樹

原作:山田風太郎

脚本:土橋成男

演出:深作欣二

出演者:千葉真一(柳生十兵衛光巌) 志穂美悦子(天草四郎時貞) 田中浩(宮本武蔵) 萩尾みどり(おつう) 西田良(宝蔵院胤舜) 真田広之(伊賀の霧丸) 西岡慶子(鳥追いおもん) 辰巳柳太郎(村正) 松村和美(おみつ) 矢吹二朗(柳生左門友矩) 内田良平(柳生但馬守宗矩) 北村大造(正田喜左衛門) 大下真司(出渕平兵衛) 曽根秀介(忠助) 関時男(吾助) 木之本恵美(おみよ) 早坂あきよ(但馬の娘弥生) 他

『柳生十兵衛・魔界転生』の原作は山田風太郎の小説『魔界転生』で、同じ1981年に角川映画によって『魔界転生』として映画化されました。映画の監督は深作欣二です。舞台『柳生十兵衛・魔界転生』はこの映画の舞台版であり、企画は映画と同じく角川春樹、演出も深作欣二です。『柳生十兵衛・魔界転生』は深作監督の初の舞台演出作品でもある訳です。(なお、タイトルに「柳生十兵衛」の名が入っているのは、この芝居の座長の千葉真一の「わがまま」もあると思うのですが。)映画のストーリーも原作とはかなりの違いがありますが、舞台版も映画とはかなりの違いがあります。一番大きな映画との違いは、主人公の1人である天草四郎は実は女性だったという設定にしてあることです。この設定と志穂美さんの女優としての個性が、天草四郎のキャラに大きな違いをもたらしています。また、映画では大きな役割を果たす細川ガラシャは登場しません。


ストーリー紹介

島原の乱の直後、(天草四郎達一揆勢が立て篭もった)島原の原城付近に四郎をはじめとする一揆勢の数多くの首が見せしめとしてさらし者になっています。突然雷鳴が鳴り響き、四郎の首が消え、四郎が復活して天から降りてきます。四郎は、神への篤い信仰にもかかわらず、神の助力も無く、一揆勢が絶望的な闘いを続けて敗北したことで、神への信仰を捨てます。そして、悪魔に帰依して力を得て、徳川幕府に対して復讐を果たそうとします。四郎は、世の中に果たせぬ思いや無念の思いを残して死んでいく武芸者達を死後に蘇らせて味方につけて、幕府を倒そうとします。その武芸者達は、宮本武蔵、宝蔵院胤俊、そして柳生十兵衛の父である柳生但馬守宗矩、伊賀の霧丸です。宮本武蔵は剣の実力は天下一と自負しているにもかかわらず、将軍家剣術指南役になれず九州で不遇のまま死なざるをえなかったこと、僧である宝蔵院は戒律のため女性を知らないで死んでいかざるを得ないこと、柳生但馬守は息子である十兵衛と生死をかけて立ち合うという武芸者としての隠された願望というように、みなそれぞれ果たせぬ思いや無念の思いがあり、皆死後に復活し「魔界衆」となることを選びます。一度死んでから蘇った魔人である魔界衆は、生前の力をはるかに超える力を持ち、また良心は失われ生前は行なわなかったような悪行も自分の欲するままに行なうとい恐ろしい存在です。柳生十兵衛は、槍を使う僧が女に襲いかかるところに遭遇し、それが最近死んだはずの宝蔵院であることを知って仰天します。十兵衛は宝蔵院に刀を折られますが、何とか倒します。そして、天草四郎達と会い、その企みを知り、さらに自分の父親の但馬まで魔界衆となっていることを知ります。四郎の呪詛により、大飢饉が起こり、大規模な農民一揆が各地で起こります。四郎は、この農民一揆に乗じて、一気に徳川幕府を倒そうとします。十兵衛は、魔界衆を倒して、この四郎の企てを阻止するためには、妖刀である「村正」の力が必要であると考え、魔界衆を斬るために刀を村正に頼んで打ってもらい、妖刀村正を手に魔界衆と闘うことになります。

ところが、魔界衆の一人の伊賀の霧丸は、良心をや人を愛する心を失っておらず、村の娘に恋心を抱きます。このことが四郎に知られますが、霧丸は娘をかばって死んでゆきます。(上の画像)この霧丸の行動から、四郎は自分が敵であるはずの十兵衛を愛していることに気づきます。そして女の姿に戻り、自分は実は女性であることを打ち明け、十兵衛に愛を告白します。(下の画像)十兵衛は、四郎の気持ちは理解できたが、互いの立場の違いはどうしようもなく、二人は闘うしかない運命であり、その中でしか愛を確認できないのだと四郎に告げます。そして、四郎も十兵衛との闘いの決心をします。


四郎は徳川幕府を倒すため江戸をめざし、それを阻止しようとする十兵衛と魔界衆との闘いがはじまります。まず、十兵衛と武蔵は武蔵が佐々木小次郎と対決した巌流島で対決します。小次郎と武蔵の巌流島の決闘とそっくり同じようないとなり、十兵衛勝利を得ます。

四郎は、飢饉のため暴徒と化した多くの人々が流入する江戸へ柳生但馬とともに乗り込みます。そして、暴徒によって火をつけられ炎上する江戸城へ但馬とともに斬り込み、但馬は刀で、四郎は薙刀(なぎなた)で数多くの武士を縦横無尽に斬りまくります。そこに十兵衛が駆けつけ、まず父但馬と十兵衛の対決となり、十兵衛が但馬を斬ります。最後に、四郎と十兵衛の対決となります。薙刀を手にした四郎と刀を手にした十兵衛の死闘が続きますが、突然大音響が鳴り響き、四郎の姿がそこから消えます。次の瞬間には、四郎は空中に浮揚しています。そして、闘いと十兵衛への愛に決着をつけるために必ず戻ってくると十兵衛に宣言し、宙を浮きながら去っていきます。


解説


志穂美さんの天草四郎 映画では天草四郎は沢田研二が演じていますが、舞台では志穂美さんが演じたことにより、天草四郎の性格に映画とは大きな違いが出ています。それは、単に天草四郎が実は女性だったということに留まらないものです。映画の天草四郎は魔術・妖術を使う魔人として性格が強いのに対して、舞台での志穂美さんの天草四郎は魔人としての性格が極めて弱くなっています。舞台版における宝蔵院や柳生但馬などの他の魔界衆の描かれ方と比べても、その魔人としての性格ははるかに弱いのです。むしろ、本来は人を愛する心を持ちながら、闘わざるを得ない運命にある清楚な男装の女剣士といった方が良いキャラクターで、TV版『柳生一族の陰謀』の柳生茜や『影の軍団U』の椎名美里と近い性格付けとなっています。この公演後に出た演劇専門誌での劇評でも、この志穂美さんの男装の女剣士が清楚な色気があり、非常に魅力的であると評価されてます。


かなわない愛 この作品のテーマの一つは、もちろん十兵衛と四郎をはじめとする魔界衆との闘いですが、もう一つのテーマは四郎の十兵衛へのかなわない愛です。この「かなわない愛」は、志穂美さんが出演した時代劇(TV版『柳生一族の陰謀』や『影の軍団U』)での志穂美さんのキャラの定番のようになっています。

四郎は敵である十兵衛を愛している自分に気づき、十兵衛に愛を打ち明けます。このシーンはこの作品での一つの見せ場となってます。このシーンも、魔物ではない清楚な男装の女剣士としての性格が強く出たものになっています。女性の妖怪・魔物が敵である人間の男性に恋をするという話は結構多くありますが、そういう場合、(例えば佳那晃子が演じた映画『魔界転生』の細川ガラシャのような)妖艶な女性が色仕掛けで男性を誘惑するというのが普通です。しかし、志穂美さんの四郎は十兵衛を誘惑するのではなく、自分の愛を受け入れて欲しいと純情可憐な感じで十兵衛に懇願します。このホームページでたびたび引用している山根貞男編『女優 志穂美悦子』(芳賀書店 1981年)での山根宏一・山根貞男両氏の対談において、この舞台が話題となっていますが、その中で両氏はさらに次のようなことを言ってます。

山田 -- 舞台の「魔界転生」でも、なんか、千葉真一の妹的な感じがするんだよね。本当は敵対する役なんだけども。

山根 -- 愛の告白をしても、兄さんに愛の告白をしているみたいな感じ。

山田 -- 「私の兄さんと言ってください」と言ってるみたいなのね。千葉真一の方も「お前とおれとは敵じゃない。お前は妹だ」って言ってる感じなんだ。

山根 -- そうそう -- 笑 --。

山田 -- あそこで天草四郎の志穂美悦子が急に女の格好して柳生十兵衛の千葉真一を誘惑するでしょう.-- 中略 -- ゲテモノ感覚だと、あそこで全裸になるところだよね。それで誘惑しなきゃいけないところなんですよ。でも、志穂美悦子だと、そういうことがイメージとして浮かばない。

山根 -- そうだね。

このような恋愛の描き方には批判があるかもしれません。大人の女性というよりは、まるで少女の恋愛です。しかし、これが四郎と十兵衛の闘わざるを得ないという宿命の悲劇性を増加させ、ラストの対決シーンを一層盛り上げているのです。


四郎の登場とラストの退場のシーン 冒頭の四郎の登場シーンとラストの退場のシーンも、この劇のみどころの一つとなっています。志穂美さんの四郎は、客席の後方から宙乗りで空中をロープをつたわって登場します。ラストの退場のシーンでも、闘いと十兵衛への愛に決着をつけるために必ず戻ってくると十兵衛に宣言しながら、宙乗りで空中をロープをつたわって客席の後方へと去っていきます。

立ち回り もちろん、この劇では立ち回りのシーンも多く、それも大きな魅力の一つです。ただ、JACが映画などでよく見せる空間を使ったアクションはそれほどは多くはなく、むしろ伝統的な時代劇の立ち回りのウェイトが大きくなっています。(この点について、劇評の中では、もっと空間を使ったアクションを入れた方が良かったのでないかとの指摘もありました。) 原作や映画の天草四郎は自分の髪の毛を自在に操り武器として用います。しかし、舞台の志穂美さんの天草四郎は薙刀を武器として闘います。女性の武術としての印象が強い薙刀ですが、実際に立ち回りで薙刀をうまく扱う女優さんはほとんどいません。志穂美さんは、薙刀を使った見事な立ち回りをみせます。この点について、『女優 志穂美悦子』での志穂美さんのインタビューを引用しておきましょう。


このインタビューの中で、志穂美さんは、立ち回りで男の人を投げ飛ばしたりして気持ちいいでしょうとか言われるけど、立ち回りを実際にやっているきには、足の上げ方はスピードが遅くなかったかとか、うまくまわれただろうかとか、間がおかしくなかったかなどということだけを気にしているので、立ち回りをしているときに快感といったものは感じないと言っています。フィルムで確認して、実際にうまくいっていることが確認できたときに、はじめて気持ち良く感じると話してます。そして、そのあとで、この舞台での立ちまわりについての話となります。

▲ --今回の「魔界転生」の舞台でも、立ち回りの場面が多いですね。

悦子 --これだけ、もう二十ステージ以上やってて、今日いい立ち回りができたと思うのは、一回か二回ぐらいですもの。

▲ -- 自分が思うのと他人が見るのでは、見方が違うでしょう?

悦子 -- 周りの人はすごいって言ってくれるんですけれどね。ナギナタを女でよくあれだけ振るうって言ってくれますけど、でも、自分のなかでは..... 。あの芝居とっても良かったよ、と言われても、自分で考えて、そうかなあ、まだまだだって思うことも思うこともありますよね。すごい良かった、感動したよ、と言ってくれたら、ホッとしますけどね。でも自分ではまだ納得がいかない。

(▲はインタビューアーの山根貞男氏)

志穂美さん自身のこの役への評価 最後に、志穂美さん自身がこの役をどのように思っていたかを、山根貞男編『女優 志穂美悦子』(芳賀書店 1981年)での志穂美さんのインタビューを引用して示しておくことにしましょう。

▲ --今回のコマ劇場の「魔界転生」の天草四郎なんて、ご自分でやりながら痛快でしょう?

悦子 -- 今回の舞台、天草四郎に関しては、役者冥利につきてます。ヘビーできついですけど、でも、あんな気持のいい役はない。偉そうにして、ね -- 笑--。


(▲はインタビューアーの山根貞男氏)


謝辞:出演者の詳細なデータはTOM.O様によって提供されました。また、最初の画像および最後の画像もはTOM.O様によって提供されたものです。ご協力に深く感謝します。

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