"闘う妹":世界のアクション映画の系譜の中で


はじめに:

「志穂美悦子さん:筋肉質の清純派女優」で、志穂美悦子さんが清純派女優にしてアクション女優というユニークな存在であったことを述べました。このコーナーでは、志穂美さんという女優を、日本、アメリカおよび香港・中国のアクション映画で活躍した女優さんの系譜という観点から、論じようと思います。実は、このコーナーの内容は、1981年に芳賀書店から出版された山根貞男さん編の『女優志穂美悦子』の中での山根貞男・山田宏一両氏のの「闘う妹の魅力」という題の対談によるところが大きいことをお断りしておきます。日本ではアクション映画に対する評価は低く、志穂美さんという女優に注目し、彼女に正当な評価を与えた映画評論家はほとんどいません。山根貞男氏と山田宏一氏という日本を代表するといってもよい映画評論家二人が、アクション女優としての志穂美さんに注目し、彼女を高く評価していたことを知り、当時の私は非常に嬉しかった記憶があります。付言すると、山根貞男氏は映画の活劇性を何よりも重要視する評論家であり、私のこのホームページの名前は日本のアクション映画を扱った氏の名著『活劇の行方』からとらせて頂いてます。この山根さん編の『女優志穂美悦子』の内容をまるまるコピーして載せた方が、私の文章を載せるよりも遥かに面白いのですが、そうもいきません。私自身の説明と両氏の対談を交えながら、話を進行させてゆくことにします。

志穂美さんの映画の特異性

まず、志穂美さん主演の空手映画の特異性を述べておくことにしましょう。「筋肉質の清純派女優」では、最近のVシネマの女優さんがアクションとともにお色気を売り物にしているのに対し、志穂美さんはそうではなかったということを述べました。実際、志穂美さんはその主演空手映画では、色気を売りにするどころか、顔以外の肌を露出したことは全くありませんでした。(この点、特撮系ファンの志穂美さんのイメージと映画系のファンのそれとの間には、若干の違いがあります。『キカイダー01』でのマリ役では、太腿もあらわななミニスカート姿で激しいアクション(パンチラも)を見せることが、人気の一つの理由でした。ただ、マリの哀しげな表情やけなげな性格などには、後述する映画の特徴と共通するところがあります。)さらに、志穂美さんの空手映画では恋愛の雰囲気さえも皆無なのです。助けてくれる男性は必ずいるのですが、その人たちに恋愛感情を持つことはないのです。こう言うと、志穂美さんの映画を良く知らない人は、志穂美さんが演じた役は、非常に男性的、というより男っぽい性格という設定のキャラクターであると思うかもしれません。ところが、激しいアクションを見せることは別として、キャラクター自体が男っぽい、例えば乱暴な男言葉で話すというようなところは待ったくなかったのです。志穂美さんは、後年の『二代目はクリスチャン』の中の男言葉で啖呵を切る場面について、男言葉のセリフをしゃべった経験がほとんどないため、大変に戸惑ったとおっしゃっておりました。外見についても、体つきはボーイッシュでも、ヘアスタイルはショートではなくロングであり、いわゆる少年のような少女という雰囲気ではなかったのです。また、女性が主人公のアクションものだと、女性の主人公は、悪役の男性を「私に勝てるかしら。」などと挑発したり、倒した後で「女だと思って甘く見ないで。」とか「男のくせにだらしがないわね。」というようなセリフを吐いて、誇らしげな表情をするのが普通です。ところが、志穂美さんの映画では、志穂美さんは敵に勝っても誇らしげな表情は全く見せないのです。それどころか、敵に勝った後で、闘うことが悲しいかのように、ひどく哀しげな表情をするのです。ついでに言えば、この哀しげな表情も志穂美さんの魅力の一つでした。さて、以上のような点に留意しながら、各国のアクション映画における女優の系譜を辿っていくことにします。

日本映画の流れからの孤立:ハリウッド無声映画時代の連続活劇のヒロインに似ていた!!


さて、以上のような点に留意しながら、各国のアクション映画における女優の系譜を辿っていくことにします。山根貞男さんと山田宏一さんの対談の引用から始めましょう。志穂美さんはそれまでの日本映画の流れには無かったタイプの女優さんであったのです。アメリカ映画史にも造詣が深い山田氏は、志穂美さんはサイレント映画時代の連続活劇のヒロインに似ているとの驚くべき指摘をします。

山根--・・・日本の女優で、強い女とか闘う女とか、そういうものに扮している人のことを考えてみると、昔からそうは若くはなくて、だいたい年齢をもうちょっととっているね。

山田--昔のアクション女優というのは姐御だったわけでしょ。断片的にしか見てないけれど、たしか「浪人街第二話・楽屋風呂」だったと思うけど、松浦築江なんか、水桶かなんかを持っての立ち廻りなんかすごかったけれど、でもすごい姐御のイメージなんだ。伏見直江にしても、大姐御だったし、原駒子なんかでも、やっぱり姐御という魅力だったと思うんだ。

山根--それに対し志穂美悦子の場合は、れっきとした青春スターですよね

山田--最もはつらつとした感じの青春スターだと思うな。

山根--それでいながらアクションをやるところが、青春スター一般とはちょっと違うところですよね。

--中略--

山田--・・・・。志穂美悦子というのは、なんだか、サイレント時代のハリウッドの連続活劇のヒロインみたいな気がするのね。「ポーリンの危機」なんかのパール・ホワイトとか、ルス・ローランドとかね。"ポーリン"のパール・ホワイトなんか、お嬢さん的な魅力ね。だから色気とかなんとかじゃなくて、お嬢さん女優なんだよ。そういう意味で青春女優だったと思うんだけど、そんなところなんか志穂美悦子的じゃないかなって気がするのですよ。

山根--なるほど、連続活劇ねえ。

山田--青春女優でありお嬢さん女優でありながら活劇をやる。日本にはなかったパターンだと思うな。

山根--珍しいですよ。

日本でアクションを演じる女優は姐御というイメージの人だった訳です。例えば、猪俣・田山編『日本映画俳優全史−女優編−』(現代教養文庫、1977)によると、原駒子は次のよう女優だったようです。彼女の役はもっぱら姐御、妖婦、毒婦で、黒々とアイラインを入れて凄みをきかせ、口紅もめいっぱい毒々しく塗り、肩も覗けんばかりのスタイルで派手な立ち廻りを演じてたとのことです。剣道師範の娘であり、立ち廻りが非常に達者だった伏見直江も片肌脱いで啖呵を切る姐御という役を主に演じていたようです。上の引用において<中略>となっている部分では、1960年代末から70年代初めにかけての『緋牡丹博徒』の藤純子や『めくらのお市』の松山容子について触れていますが、この二人も姐御という雰囲気の人たちであったことは言うまでもありません。青春スター、お嬢さん女優、もっと言えば清純派女優で、アクションをする人は日本映画の伝統にはなかった存在なのです。志穂美さんの大昔の先駆者がサイレント時代のハリウッドの連続活劇のヒロインであるというのは、意外ではありますが、何か楽しい気分にさせてくれます。


"闘う妹"と「女のエロスの無化」:


1970年代前半には、東映によって女性を主人公にしたアクション映画が数多く作られます。当然のことながら、これらの映画と志穂美さんの映画には大きな違いがあります。志穂美さんの映画には、それ以前の東映の女性アクション映画が濃厚に持っていた女性のセクシャルな部分(具体的であれ、抽象的であれ)を見せるという要素が全くないのです。そして、志穂美さんのイメージが"闘う妹"であるという指摘がなされます。

山田--山根さんが「月刊イメージ・フォーラム」に連載している「活劇の行方」で「闘う女たちの肉体と殺意」という題で東映の"女の活劇"を分析していたでしょう。あれで「女必殺拳」の志穂美悦子を「女のエロスの無化」と見事に定義していたけど、まさにそれだなと思ったなあ。

山根--あれ書いていたときに、つくづく志穂美悦子はユニークだと思った。東映映画で言うと、藤純子が女だてらに長ドスを持って闘うところから、つぎに出てくる池玲子や杉本美樹のスケバン映画へと、女の肉体というものがどんどん露出的にエスカレートしていくんだよね。お竜さんは肌の刺青を少し見せたぐらいだったけど、スケバンはもろにヌードになっちゃうというふうに。それに応じてセックス描写だってエスカレートして、スケバンにとっては、セックスも女の武器になる。いうなれば、女性度みたいなものが濃厚になってゆくんですよね。

山田--「さそり」の場合も、完全に・・・・。

山根--そう。女のセックスを弄ばれた怨みのドラマだから、実に女性度が濃厚でね。ところがそのつぎに出てきた志穂美悦子の映画は、そういう女の肉体の露出とか。女性度を濃厚に見せるとかが全然ない。エスカレートの果てに、ゼロになっちゃったて感じ。これはなんとも面白いことだよ。で、女であることにはちがいはない。そこのところに不思議なユニークな魅力があると思うね。

山田--だから、「女必殺拳」が最初はアンジェラ・マオの主演で企画されたと聞いて、なるほど思ったのね。アンジェラ・マオも「女のエロスの無化」という感じがあるんだ。「アンジェラ・マオの女活殺拳」もそうだったけど、とくに「燃えよドラゴン」のブルース・リーの妹ね。なんか、いつも妹って感じなの。ほら女ていうより妹てイメージの女優がいるじゃないか。志穂美悦子もいつも妹って感じがするんだよ。本当の妹でなくてもいいんだけけど、妹的な存在なんだ。兄貴的な男がいて、いざというときには必ず手助けにくる。・・・・妹だから、兄貴と妹の間には性的なものは何もない。男はいつも兄貴、って感じで存在する。「女必殺拳」が最初はアンジェラ・マオのための企画だったせいもあるのだろうけど、すごく妹的な存在なのが印象的だね。

山根--実際、「女必殺拳」第一作では兄を探して香港から日本へやってくる妹の役ですよね。つづいての第二作「女必殺拳・危機一発」でも姉さんが悪い奴にだまされてっていう話だから。

山田--倉田保昭が兄貴的な役で・・・・。

山根--そう、いわば兄貴の役だ。

山田--男はいつも相棒であり兄貴であるという存在。

山根--で、兄と妹が一緒になって闘う。そして最終的には、やっぱり兄貴がちょっとかばってやる。

山田--兄貴はあくまで保護射的な存在なんだよ。志穂美悦子の感じは妹なんだよ。"妹の力"というか・・・・。

山根--ただ、そこで注目すべきことは、もともと妹的存在というのは、自分では闘わないんじゃないかな。志穂美悦子の場合は、兄や姉より何より妹自身が闘う。闘う妹なんだ。

山田--闘う妹。これはユニークだ。ずばりだな。

山根--これ見出しにしましょう--笑--。デビュー作の「ボディガード牙・必殺三角飛」からしてすでに、千葉真一のボディガード牙の失明した妹に扮して、けっこう闘っているものね。

志穂美さんの映画が、それ以前の東映の女性アクション映画が濃厚に持っていた女性のセクシャルな部分を見せるという要素を持たず、志穂美さんが"闘う妹"となったことには、本人の女優としての資質がそうであったということのほかに、『女必殺拳』がアンジェラ・マオのための企画であったことが二つの意味で大きく影響していると思います。一つは、対談でも触れられているようにアンジェラ・マオのイメージがまさにそういうタイプの女優であったということです。もう一つは少し次元の低い話です。当時の東映という会社の性格からすれば、女性を主人公にした映画では、女優さんは必ず脱がなければならないと本来は考えていたはずです。しかし、香港でスターだったアンジェラ・マオを呼ぶためには、ヌード・シーンはおろか、際どいシーンを一切入れることができなかったと思われます。アンジェラ・マオが来日出来なくなっても、すでに脚本は出来ており、主人公の濡れ場が全くない女性アクション映画が志穂美さん主演でつくられることになり、ヒットしたので、志穂美さんの映画はこのラインで作られようになったのでしょう。もし、アンジェラ・マオのための企画である『女必殺拳』が無ければ、かりに志穂美さんの主演映画が作られたとしても、かなり違ったものになったと想像できます。(実際、『女必殺拳』がヒットした後でさえ、『若い貴族たち・13階段のマキ』で志穂美さんは脱がされそうになったことがあります。しかし、『女必殺拳』のヒットで売れっ子になっていたこともあり、「わがまま」も通って脱がないで済んだのです。そのため『若い貴族たち・13階段のマキ』は、主人公のマキの際どいシーンが一切無いといういう点では原作とはかなり違ったものになりました。)このような偶然によって与えられた機会により、志穂美さんは"闘う妹"あるいは"アクション女優兼清純派女優"としての資質を開花させたのです。

香港・中国映画の伝統としての闘う妹:

実は、香港・中国映画では"闘う妹"という存在はかなり一般的であり、なにもアンジェラ・マオに限られたものではないのです。香港・中国映画にも詳しい山田氏はその点を指摘します。

山田--中国には、女侠っていうものが伝統的に存在するわけだけど、これが大体妹なのね。それで兄貴的存在がいつもいる。中国の復讐譚では、だいたい妹が主役みたいな気がする。兄貴や、兄貴にかわるかっての殺された父の忠臣みたいな兄貴的存在が彼女をかばってついていく。キンフーの「血斗!竜門の宿」でも、妹が、殺された父親の復讐をする話だしね。「地獄から来た女ドラゴン」とか「女ドラゴン・決闘の館」とかも、妹の復讐の物語なんだよね。

山根--
何か東洋的な伝統みたいなものに、"闘う妹"というイメージがあって、これが日本では志穂美悦子に出てきたんじゃないかな。

山田--
そう、"闘う妹"---これだな。"闘う妹"ってのは、日本映画では出てこなかったでしょう。

『女ドラゴン・決闘の館』と『血斗!竜門の宿』は、ともにシャンカン・リンホ−の主演、『地獄から来た女ドラゴン』はジュディー・リーの主演です。『女ドラゴン・決闘の館』は、家出した双子の姉を探しにある町に来た武術の達人の妹が、姉を殺した悪徳ボスを倒すという物語です。『地獄から来た女ドラゴン』は悪徳ボスによって兄を殺された武術の達人の妹が、兄の仇を討つという話です。対談で紹介されている3作品はいずれも日本で公開されたものですが、香港・中国映画には、このほかにも妹の復讐の物語は数多くあるようです。なお、このホームページと相互リンクしているつよしさんの「つよしの好きなもの」には『女ドラゴン・決闘の館』および『地獄から来た女ドラゴン』の紹介が、666さんの「弥勒の館」の70年代香港カラテ映画スター名鑑にはアンジェラ・マオおよびジュディー・リーの紹介があります。これらの作品および女優さんに興味がある人は、これらのページをご覧ください。

おわりに:

志穂美さんの悲しげな表情などについても書こうと思いましたが、余りにも長くなりすぎたので、別の機会にしたいと思います。志穂美さんは、日本のアクション映画の系譜の中では孤立した存在であり、むしろサイレント映画時代のハリウッド連続活劇のヒロインや香港・中国映画の"闘う妹"の系譜に属する女優さんだったのです。このような従来の日本には存在しなかったタイプの女優さんを生かすことは、日本的な性格が非常に強い東映という会社では困難だったと思われます。これが志穂美さんがあまり作品に恵まれなったことの一つ原因となっているようにも思われます。

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