YOKUWAKA 31: June, 2007

2007/06/16

 RIMNETのメールサーバーからメールを送信することなんて、しばらくやっていなかった。とゆーか、プライベートでメールを送信すること自体、ほとんどなかったのだ。で、そのしばらくぶりにメールを送信しようとしたところ、エラーが出て送信できない。AL-Mail ver1.13bでSMTP AUTHへ移行したDTIで送信できなかったのと同じトラブルかと思い、ver1.13aへバージョンダウンしたがNGのまま。どーしたもんか……と悩んでいたところ、ポート番号を25のままにしていたことに気づく。どーせダメだろ、と思いながらも試すとOK。DTIと違って、適切な設定をしたらうまくいくなんて一体どうしちゃったのRIMNET!? って感じ(をひ)。

2007/06/17

 都営地下鉄大江戸線の駆動方式はリニアモーターなのだが、磁場の影響は? とか気になりだすときりがないような気がする。個人的にもっと気になるのは、光学ドライブのベゼルの色だ。いまのケース(SKYTECHのSKC450-12W)はアイボリーカラーではないため、白がまぶしい。ベゼルの色が浮いているため、できれば買い換えたい(DL対応ではない、という理由もあるけど)。DVDスーパーマルチドライブだったら、BUFFALOのDVSM-XH1218FB/BかDVSM-H55N/Nがいいと思う。または、I-O DATAのDVR-H42LEかDVR-SH62LE。もし気が迷ってBlu-rayにするんだったら、I-O DATAのBRD-AM2Sがいいと思う……が、さすがにBlu-rayはないな。てゆーか、カネがないな。

2007/06/18

 キューバへ行くことになった。いや、もちろん(?)単なる旅行なのだが。ケニアのときと同様ある程度の長さの休みがとれない状態が続くと、たまったストレスが決壊するかのようにとんでもないことがおきる。まあ、人によっては別にキューバごとき「とんでもなく」はないのだろうが。例によって目的地の選定は私ではなく、お嫁さん。ISLAND TOUR CENTERなる旅行会社にて申し込む。表参道ヒルズの裏手にある、普通(?)のマンションの一画。そんなところ(失礼)に、そんなことをやっている会社があるなんて、世の中には私の知らないことが沢山ある。さらにカリブ海の国々に行く旅行者は若く、しかも(というよりも、ゆえに?)一人旅!

 余裕をみて、成田に16:00に着くようにする……が、15:00に着いてしまう。早すぎて、Check Inできない。しかし1時間前にGATEに着くと、もう行列ができている。40分前には搭乗が開始される。19:00定刻に出発し、19:25にTake Off。Air Canada、トロント行きAC002便。離陸時、日本の航空会社はすぐに機首を上げるのだが、外国はなかなか上げない。滑走路は4,000mもあるのであせる必要はないのだが、根拠なくお国柄みたいなものを感じた。スッチー(キャビンアテンダント)も、こわい。カップヌードルの容器を返却しようとしたところ、「After!」と叱られる。ポンニチは子ども扱い、というかエコノミーは人間扱いされないんだったっけ。

 約13時間後、カナダのトロントに到着。13時間も経過しているのに、日付も時間も変わっていない。いわゆる海外のイメージと違って、みんな歩くのが速い上に行列も短い。入国審査もスムーズ。ホテルへのシャトルバスは専用呼出電話があるらしいのだが、どこにあるのかちっともわからん。バス乗り場をうろうろしてもわからんので、Informationに聞くと代わりに電話してくれた。大変助かった。ちなみに空港到着ロビーのInformationは、おばあちゃん/おじいちゃんのボランティア。成田-トロントの便とトロント-ハバナ(キューバの首都)の便の乗り継ぎ関係上、この日はトロント空港近くのホテルに宿泊となった。

2007/06/19

 6:00に起床して、7:15にホテルをシャトルバスで出発。7:25、空港へ到着。シャトルバスといっても、実際はマイクロバス。うちらの他には日本人男性と盲導犬を連れた白人男性しかいないから、全然オケ。なぜか出国審査がない。手荷物検査が、それだったのだろうか? ちなみにアメリカ人とカナダ人は、それ以外の人達と保安検査所への入口が別になっている。10:15定刻に出発し、10:30にTake Off。成田からはボーイング767-300だったけど、ハバナまではエアバス(A319)。アメリカ東海岸を南下して、フロリダ半島を越えたら右(西)へ。左へ180度ぐらい旋廻して、東に向かってハバナ空港へアプローチ開始。13:40、Landing。入国審査は一人ずつで、終わるとブザーが鳴っている間に木のドアを押して出て行くという方式。

 入国審査の次に、なんと手荷物検査がある。小銭かベルトのバックルが金属探知機にひっかかったらしくてボディチェックされている間に、トレイに入れた腕時計に女性係員が気がつかず落とされてしまう。壊れなくてセーフ。預けた荷物も、バッゲージクレームに出てくる前にX線検査をするのだという。バッゲージクレームには麻薬犬がいて、「ロストバゲージ」とカタカナで書いてある受付窓口がある。そんなに日本人、多いのか? あとで知ったのだが、年間約5,000人だという。単純計算で月間約400人。預け荷物を受け取ったあとも、さらになにかの探知ゲートをくぐらないと出られない。やっとガイドと合流。年配の女性で、名前はマルガリータさん。

 彼女はムラート(スペイン人と黒人の混血)で、娘に「サユリ」と名前を付けてしまうほど日本が好きなのだという。14:20に空港を出発し、15:00にホテル到着。前日に政治局員の一人が亡くなったとのことで、革命広場に入れないため迂回していく。ホテルは、テレグラフォ。途中、フロリディータ(ヘミングウェイが通ったレストラン)に寄る。バーではヨーロッパ人観光客らしきが多数、フローズンダイキリを飲んでいた。カウンターの一番奥には、ヘミングウェイの像がある。部屋に入ると時差ボケなのか、お嫁さんが寝てしまったので一人で街に出てみる。ホテルの外をひとまわりするだけのつもりだったのだが、ガタイがデカイのに話しかけられる。

 「ムラート」と「モヒート」(お酒)を最初勘違いしてしまって、どうやら一緒に飲もうと言っているらしいのだが、さすがにそれは勘弁。ひとりで、のんびり歩きたかったのに。いつまでもついてくるし、デカイから怖い。通りを曲がったら来なくなったので、ホテルに戻ることにする。ホテルに着く直前、またしてもムラートのおじさんに「ハポネス?」(日本人?)と話しかけられる。ビビリマン状態の自分は、悪いが無視してホテルに入った。ガイドには「チーノ」(中国人)と話しかけられることが多いと書いてあるのに、どうして日本人だとわかるのだろう。どうやら数年前にテレビで「おしん」が放映されて、大人気だったらしいのだ。

 夕食は、フロリディータにて。ホテルからは近いので、歩いて行く。空港からホテルへ行く途中に寄ったのは夕食の予約のためだったのだが、ちとお嫁さんとミス・コミュニケーションがあってうまくいかない。せっかくの生ハム、残しちゃったよ……。二人で、84.5CUC+チップ5CUC(キューバ兌換ドル)。(日本では)日本円から直接CUCに両替できないので、成田空港でカナダドルに両替しておいた。それを、キューバでCUCに両替する。自分達は、空港で両替した。最近は、ユーロからの両替がいいらしい。ホテルの部屋は、3階(最上階)の角部屋。「地球の歩き方」に載っている写真と、すごくよく似ている。多分、同じ部屋だと思う。

2007/06/20

 今日は、ハバナ市内一日観光。9:00、出発。旧国会議事堂、新市街のホセ・マルティ革命広場、ハバナ大学、ハバナ・リブレ(ホテル)を観て(または前を通って)、マレコン通りを走ってハバナ湾の入口にあるプンタ要塞の横から海底トンネルに入る。湾の向こう側にあるモロ要塞の横を通り、カバーニャ要塞へ。ここには、チェ・ゲバラが執務で使用した館が残っている。再び海底トンネルを通って、旧市街に戻ってくる。サンフランシスコ広場でクルマを降りて、ここからは歩き。ビエハ広場の手前でモヒートを飲む。1杯1CUC。ガイドブックで確認すると「アミーゴス・デル・ベニ」とあるのだが、店の看板には「タベルナ」と書いてある。位置がずれているのか?

 (スペインの植民地だったので)スペイン風の町並みの中、アンボス・ムンドス(ホテル)まで歩いて行く。ヘミングウェイの常宿だったこのホテルは、エレベーターがとても古風。ドアの開閉は手動で、蛇腹の檻みたいなやつ。5階の角部屋が、ヘミングウェイの泊まっていた部屋。いまは観光名所となっていて、一人2CUC。昔は総督邸だった市立博物館の横を通って、アルマス広場へ。サンタ・イザベル(ホテル)の隣「ラ・タベルナ・デル・ガレオン」という店で、「クビータ」と「セラーノ」というコーヒーを購入。帰国後飲んでみると、後者の方が好みだった。キューバで売っているものはエスプレッソ用と知ったのは、さらにあと。

 カテドラル広場を通って、「ラ・ボデギータ・デル・メディオ」というレストランで昼食。ここも、ヘミングウェイが通った店だという。観光客が描いたサイン(Autograph)が、壁にいっぱい。お店が混んでいたので、ガイドのマルガリータさんとドライバーさんと同じテーブルに座る。ポンニチはうちらしかいないし、その方が楽しく食事ができてよい。ドライバーさんとカタコトの英語で会話。昔は軍にいて、工場の機械工だったとのこと。マルガリータさんは昔から観光の仕事をしているとのことだが、建設省で日本の工作機械(ブルドーザーとかショベルカー)のマニュアルの翻訳をしたこともあるとのこと。

 革命博物館に寄ってグランマ号を見たら、15:00頃ホテルに到着。あとでパンフレットを見たら、葉巻工場とハバナクラブ蒸留工場にも行く予定だったみたいなんだけど……「葉巻は吸わない」って言ったから? ま、いいけど。昼飯で腹いっぱいになってしまったので、夕食はホテル近くの売店みたいなところでパンを買って食べることにする。お腹を減らすために、マルティ通りをプンタ要塞まで歩いてみる。帰りは、革命博物館の横の通りを戻ってくる。すでに夕方なのだが、暑くて歩いていると段々グロッキーとなってくる。ホテルの売店で、ハバナクラブ(ラム酒)の値段をチェキ。5年物の350mlが3.45CUC、7年物の700mlが12.95CUC。あとでわかったのだが、ホテル価格で高いということはなく妥当な値付けだった。

2007/06/21

 今日は、サンタ・クララ日帰りツアー。ハバナとサンタ・クララは、300kmぐらいの距離がある。大体、東京から名古屋くらいか。8:10、出発。ハバナ市街を南へ抜けて、高速道路へ。高速道路なのに、なぜかときどき時速110kmぐらいから時速60kmぐらいまで減速する。これは警察がいたり、交差点があったり(!)、横断する人がいたりするため(!!)。特に立体交差の下は、ヒッチハイクや横断のために人が集まっている。なぜ立体交差の下なのかというと、日差しとスコールを避けるため。高速道路には他にも、自転車や馬車も走っている。三車線なのだが、みんな四車線あるイメージで走っている。白線が消えているせいよりも、交通量が少ないから誰も気にしない。

 走行車線とか追越車線とか、そんな細かいことも誰も気にしない。舗装が悪いので、舗装のよいところを都度選んで走るのだ。9:30頃、オレンジの木の畑に囲まれたあたりで停車。なんと、パンクしたのだという。タイヤ交換&休憩。そのあと30分後、パーキングエリアっぽいところでトイレ休憩。11:00、サンタ・クララのゲバラ革命広場に到着。ここにゲバラの霊廟がある。霊廟は荷物持ち込み禁止。当然、写真撮影も禁止。革命戦士80数人のうち、30人が祀られているという。次にサンタ・クララ市街を通って、列車襲撃跡へ移動する。ここは全部屋外展示で、なんと革命軍がわざとレールを曲げたブルドーザーは本物だという。

 ここで、イタリア人の若い男性旅行者に会う。山梨県に5年間住んでいたので、日本語がペラペラ。スペイン語も、うちらよりも全然話せる……が、ガイドさんとの会話は日本語。イタリア人とキューバ人が日本語で会話している様子は、なんともミョー。昼食は、サンタ・クララ郊外にあるホテルでビュッフェ。先住民の住居を模した建物になっているが、中央にはプール。ヨーロッパ人が、くつろいでいた。14:20、出発。ガソリンスタンドで給油。30リッターで28.5CUCということは、1リッターあたり0.95CUC。帰りはスコールにあい、あっという間に高速道路が水びだしになる。ハバナに着く頃にはやんで、虹も見えた。17:30、ホテル着。

2007/06/22

 今日と明日は、終日フリー。旧市街を散策してみる。アンボス・ムンドスの少し先に、マルコ・ポーロ博物館がある。博物館の前には、白人の観光客がたむろしていた。白人の年配女性(要はオバハン)達がうちらに気づいた途端、小声でクスクスと笑い出し「チャロポロペロパロ」(実際に、こう言った)とか口に出して話しはじめた。日本語の発音ではそんな風に聞こえることはまずないので、おそらく中国人と間違えているのだろうが、彼女らにしてみれば中国人も朝鮮人も日本人も同じなのだろう。感じたままをそのまま書けば「大変不愉快」だった。中国人に対しても失礼。欧米の人種差別ってこれか~、と思った。もっとも、日本人の外国人差別もヒドイもんだが。

 まだ出発してから30分ぐらいしかたっていないというのに、お嫁さんが暑いから休憩したいと言う。ビエハ広場に面したCafeで、モヒートと炭酸水を飲む。あわせて、7CUC。続いて、ハバナクラブ博物館。博物館のガイドが、説明しながら案内してくれる。一人5CUC。人数が集まるまで、一階で少し待つ。うちらは英語組。順路の最後に試飲みたいな感じで、少しだけラム酒を飲ませてくれる。これがまた、カーッときてすごい←んざそら。一旦、ホテルへ帰還。途中、ハバナの地図を買う(3CUC)。全然関係ないけど、ホテルのエレベーターは「L→E→1→2→3」とボタンがある。Lはロビーだと思うがEがわからない。Officeだという。EmployeeのEか?

 16:00、出発。「ラ・パエリア」という名前の通りパエリアのお店に行く。ホテルへ戻る途中に場所を確認していたのだが、店のおじさんはうちらのことをおぼえていた。私が「We shall return.」って言ったからぢゃなくて、ポンニチだからだと思うけど。ちなみに「We have return.」とは言わなかった。パエリアは、とてもおいしかった。二人で40.75CUC+チップ3CUC。ホテルに戻って、旅行会社の現地邦人タカハマさんのガイドで再び20:00に出発。カニョナソといって、カバーニャ要塞で時報代わりの大砲を撃つのだ。それを観に行く。20:00すぎると、徐々に暗くなってくる。20:45、衛兵が当時の衣装で登場。21:00にズドンと撃つと、うちらはすぐに出発。

 なんでそんなにあわただしいのかというと、トロピカーナに行くため。トロピカーナは世界三大キャバレーのひとつで……残り二つは知らん。キャバレーといっても日本のそれぢゃなくて、ダンスショウという感じ。第二次世界大戦中も公演していたというのだから、そんな国(アメリカ)に日本が勝てるわけがない。途中、アメリカ大使館の前を通る。正式国交がないのに、なんで大使館? 正式名称は「アメリカ利益代表部」なんだと。他にも……バスは24時間走っているのだが、時刻表はない。バスに乗らない人はヒッチハイクで出勤するのだが、出勤時刻がバラバラになってしまうので最初に出勤した人が全員分のタイムカードを押してしまうのだという!!

2007/06/23

 延泊プランで、終日フリー2日目。マレコン通りまで歩いて、プンタ要塞へ。カリブ海は澄んでいて美しく、地元の子ども達が海に飛び込んで遊んでいた。プンタ要塞は「地球の歩き方」によれば中に展示室があるみたいなのだが、そんなものは全然なくて警備員のおじさん(というか、おじいさん?)が一人いるだけ。おじさんはスペイン語しかわからない、うちらはスペイン語はわからない。片言の英語とスペイン語で会話しながら案内してもらう。おじさんの本来のミッションは単なる警備なのに、その親切がうれしくて、ここがこの旅一番の思い出になった。おじさんの写真を撮り忘れてしまったことが、非常に残念。ちこっと後ろ姿が写っているやつならあるけど……。

 遊園地があって、その横に支倉 常長(はせくら つねなが)の像があった。その先ではフリーマーケットがひらかれていた。暑いので、Cafeで休憩。お嫁さんはモヒート、私はグャビータみたいな冷たい飲み物(1CUC)。旧市街を昨日とおんなじ感じでぐるっとひとまわりして、ホテルに帰還したらスコール。タイミングが、よすぎる。17:00すぎ、スコールがやんだので出発。土産屋で「GUAYABITA DEL PINAR」というラム酒の辛口(SECA)を購入。結局、この店でしか見かけなかった。ご隠居、ラッキーでしたね。夕食はアンボス・ムンドスで……と思ったのだが、お嫁さんのリクエストでサンフランシスコ修道院近くのオープンカフェのような店にする。

 ホテルの部屋のテレビは、ケーブルテレビでディズニーチャンネルを観ることができた。スペイン語で、ミッキーがミネストローネを作るためにトマトの数を「ウナ、ドス……」と数えていく。こーゆー(子ども向けの知育番組とでもいうのか)のって、どこも同じなんだなあ……なんて思っていたら、後日日本でまったく同じ番組を見かけた。もちろん、そのときはミッキーが日本語で「ひとつ、ふたつ……」とトマトを数えていたのだが。ダラダラと「ヘラクレス」と「ムーラン2」を観ていたら、なんと3時間もたってしまった。あらら。テレビは時間泥棒でいかんね、とテレビのせいにするテスト。

2007/06/24

 朝食は、ありがちなビュッフェ。なにも言わないと、どんどんオムレツを作ってしまうおじさん。目が合った瞬間に「サニーサイドアップ!」と、お願いする。12:15、ホテルをCheck Outして空港へ出発。出国審査の両替所では各国通貨のレートが表に掲げられているのだが、実際に両替可能なのはユーロとアメリカドルのみ。後者は政治的な思惑なのか、手数料を色々ととられてしまう(結果的に80%ぐらいになってしまう)のでユーロに替える。免税店には、色々な紙パックのジュースが売られている。「MELOCOTON」というのは、「桃」らしい。14:45の出発が、8分程遅れる。機内放送は、英語とフランス語とスペイン語。15:06、方位06でTake Off。

 行きと同じくAir Canada、機種もエアバス。18:12、トロント空港にLanding。ここは、すべての案内が英語とフランス語の二ヶ国語表記。正直、ずっと見ているとイライラしてくる。トイレの洗面台は、前に立った瞬間に熱湯が出てくる。ナゾ。腹が減ったので、食事してからホテルへ移動する。21:00頃、ホテルに到着。行きと同様に乗り継ぎの関係上、今日はここまで。キューバと時差がないのが、よいよい。さすがに疲れてきた。

2007/06/25

 11:10、ホテルを出発してトロント空港へ。道路の「合流」は「MERGE」か。なるほど~、などと感心(?)していると到着。せっかく(?)のカナダなので、メイプルシロップを自宅用の土産として調達。搭乗口には、カナダ観光に来たポンニチのオバちゃん達が集結していた。ファーストクラス・ビジネスクラス・車椅子等の優先搭乗が開始された途端、優先搭乗口からなだれ込もうとして失敗していた(ステキ)。機内に入った途端、トイレに入って「流れない」と大騒ぎ(ウットリ)。飛行機のトイレは気圧差を利用しているはずだから、地上ではうまく流れないのでは? 14:08に出発して、14:25にTake Off。成田行きAC001便。ポンニチ、多すぎ。

 トロント時間で真夜中になろうかという頃、機内で子ども達が大騒ぎしはじめる。夜がふけると子どもの情操が不安定になるのは、よくある話だ。ところが、隣の席に座っているポンニチの母親はなにも注意しない。なにも言わない。知り合いと思しき別の母親(こちらもポンニチ)がなにやら話しかけたところ、「大丈夫、注意しているから」と答えていた……いや、とてもそうは見えないんだけど。まったく状況に変化がないので、その別の母親が子ども達を別々に座らせる(サスガ)。静かになったので安心してトイレに行こうとしたら、オバちゃん(またしてもポンニチ)に横入りされた上に、なんと流していない! ……ブラボー!

2007/06/26

 カナダのトロントを出発してから約13時間後、日付変更線を超えて14:41にLanding。日本時間は、15:41。着陸したのがRWY16Lだったので、レイクス→バーディーと通過したのだろう。直前の左旋回は、自分自身も体感できた。このルートの場合、仮にILSだったとして残り5.2マイルでILSに会合しないといけない。羽田のC滑走路へのサークリングアプローチほどではないにしても、私には無理(←あたり前だ)。勝手にアリーズノースアライバルだと思っているが、成田へのアプローチでHoldingは個人的に一度もない。さすが! こーゆーとき、日本の航空管制のレベルを感じる。なのに、Taxiing中にかなり待たされた……。

 バッゲージクレームで預け荷物を受け取って出ようとすると、なぜか呼び止められる。ヤバイものは、持ち込んでないっスよ。麻薬犬の訓練に協力して欲しい、と言われる。麻薬のにおいをしみこませた脱脂綿を靴のかかとにしこんで歩くだけで、麻薬犬は(実際のケースでは麻薬を)認識すると該当者(今回は私)の隣に座り込むのだという。吠えたり、ましてや噛みついたりはしない。麻薬犬を連れて歩く係員も、誰が仕込みなのかは知らされていない(当然、麻薬犬も知らない)。早速、スタート。税関の手前で、左側から近づいてきたゴールデンレトリーバーが私の隣に座り込む。すぐに訓練を依頼した人がやってきて、お礼を言われて終了。


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