YOKUWAKA 27: January, 2003

2003/01/06

 というわけで、もうホントは2月なんだけど1月の話。あ、その前に弐号機(EVA-02)でWindows Updateができなかった話。結論から言うと、解決しました。

 お嫁さんが教えてくれたWebサイト(リンク切れ)に書いてあることを色々と試してみたんだけど、これらはすべてNG。そこで、Internet Explorer(以下、IE) ver5をUninstallしてみる。んが、IE 4だとそもそもWindows Updateがバージョン対象外だといって受け付けてくれない。そこで、再度IE 5をInstallする。その状態で、Windows Updateを試みると……OK。

 で、なんでこの日付かというと今日は、ほたるちゃんの誕生日だからです。ほたるちゃん、誕生日おめでとう~!

2003/01/09

 シンガポールとインドネシアのビンタン島というところへ行ってくる。例によって、航空会社はANA。ボーイング777-200は20分遅れて、16:45に出発。ゲートインは十分間に合う時間だったんだが……シンガポーリアン、もうちっと時間守れよ。17:00に方位34で成田をTake Off。やっぱり冬は北風か。

 前のシートには謎の三人組。通路側から、男・女A・女B。我々のところは、同じく通路側から空席・自分・お嫁さん。男は自分の後ろが空いていることを確認してから、シートのリクライニングを倒す。女Aは「ちょっと倒していいですか」と聞いて、目いっぱい倒す。女Bは後ろを見て「あ、誰もいな~い」と言って倒す。しかし女Bは、お嫁さんが席を外しているだけであることを承知しているはずの状況で倒す。その思考回路が理解不能。そのうちシートライトも点けずにトランプを開始するのだが、女Bは大コーフン。奇声をあげて跳ねまわり、シートがバッタバッタと揺れる。頭ダイジョウブですか?

 中央の座席群には、シンガポーリアンが陣取る。民族はわからないが、いかにもモンゴロイドの女性が隣の空席にやってきて、ひじをシャカシャカと私にぶつけて睡眠中のところを起こしてくれる。いつまでもシャカシャカさせている上、かつ斜め前の男が座っているものだと勘違いしていたので、日本語で「もう少し、そっちへ行ってもらえませんか。ひじがぶつかっているんで」と言ったところ、ビックリした顔をする。ちなみに彼女が席を移動した理由は、自分が座っていた席をベッドとして使われたため(知らんがな)。その後赤道が近づくと揺れがひどくなり、彼女はゲロ袋を手にして、かなりつらそうだった(知らんがな)。

 それにしても日本人以外は、機内持込荷物がデカイ。持ち込まないで預けろっての。飛行機は、24:10にLanding。方位は7か8。だから北東からそのままアプローチせず、チャンギ空港南側を通過して右旋回する。赤2白2でTouch Down。さすが。

 シンガポールのトイレの案内板は、男も女も表示が青色。便器は、なんとTOTO。時差は、-1時間。現地時間は、23:10。24:50に、空港を出発。しかし1時間40分もいた感覚はないので、このへん勘違いしているかも。旅行会社のマイクロバスに乗って、ホテル(全日空ホテル)へ直行する。ガイドは現地のおばちゃん。人種は不明、モンゴロイドであることは確かなんだが。客は、我々二人と家族連れ(夫婦・娘・妻の父)の二組。娘は、小学校高学年。諸所の説明をバスの中でして、25:15にホテル到着。ホテルでなんか説明があるかと思ったら、さっさとお部屋に入っておしまい。まー疲れているから、それでもいいんだけど。

2003/01/10

 朝食はバイキング(ビュッフェ形式)。日本人や韓国人、中国人等々モンゴロイドがいっぱい。バイキングのテーブルはなぜか左回りだったり、ときによっては右回りだったり、まるでアジアの雑踏という感じ。こーゆーところは、西欧のきちっとしたマナーの方が個人的にはよいと思う。

 8:30出発で、シンガポール市内観光に出発。まずは、リトルインディア。戦前の街並みが残るところでは、建物には道路に面して5feetの通路とひさしを設けることが義務付けられていた。ジャランジャランする(マレー語で、散歩の意味)。アラブ人街ではサルタンモスクへ行くが、金曜は礼拝の日で中に入るのはNG。ブギス・ビレッジはシンガポールのアメ横。夜はスリが多い。CHIJMES(チャイムス)は、前学校元修道院。いまは、お台場か晴海トリトンみたいなスポットになっている。

 12人乗りのボートに乗って、リバークルーズ。マーライオンパークまで水路を移動する。ガイドのテープは日本語。チャイナタウンでは、まずヒンドゥー教の寺院へ。写真撮影は有料(3ドル)なんだが、白人はバシバシと撮っている。カネを払っているようには見えんのだががが。朝市は一階が衣料品・日用品で、地下一階が食料品。値札には「元」が併記してある。ちなみにマイクロバスの運ちゃん(中国人)は、いつも停車スポットで横になる。我々が戻ってくるとガイド(これも中国人)がバスをゴンゴン叩いて、飛び起きる。この繰り返し。

 昼食は、シンガポール名物のチキンライス。味は、ふつ~。ホテルのトイレの手拭は、自動的に巻き上がる仕組み。DFSは数日前に移転して新規オープンしたばかり。とてもキレイで立派な建物だが、我々にとって魅力的なものはなにひとつない。お散歩がてら、ホテルまで歩いて帰る……が、やっぱり道を間違える。いつも、ひとつ手前を曲がってしまうのだ。仮眠してから、15:30にチェックアウト。バスでフェリー乗場に向かう。フェリー乗場は空港の、すぐ隣。16:00、到着。

 フェリー乗場は、事前情報通り韓国人でいっぱい。フェリー自体は結構新しい。17:00に出発して、18:00に到着。現地時間は17:00。45分間という話だったではないか。しかも揺れがひどくて、乗物酔止薬を服用したのにもかかわらず酔う。たまらず船内中央へ移動するが、横揺れまで始まってアブラ汗まで出始めて、もうダメかと思った。

 インドネシアの入国審査はあっさり終わって、18:20にホテルの送迎車でフェリー乗場を出発。10分後、ホテル(バンヤン・ツリー・ビンタン)に到着。途中ゴルフ場のカートを通す安全のためか、道路にモッコリとした段差が設けられている。日本だったら、すぐに信号を造ってしまいそうだが、これは賢いと思った。費用もかからず、環境にも景観にもよい。ホテルの従業員の男性は、なぜか死装束のような三角の布を頭に付けている。色は、もちろん白ではないが。日本語の堪能な女性がひとりいるが、あとはすべて英語。でも、かなり日本語を話せる。従業員同士は、インドネシア語で会話している模様。

 夜、マングローブツアーに出かける。夜のツアーは、蛍が観られるのだ……が、観られるなんてどころではない。うじゃうじゃいる、といった感じ。いっしょにボートに乗ったシンガポールから来た家族連れ(多分、マレー人)の娘は、大はしゃぎ。んが、ホテルのウェルカムドリンクのせいか、トイレに行きたくなってしまう。しかも、ボートのエンジンが不調。最悪、ボートの上から……と思っていたのだが、ちょっと岸に上げてもらって、木陰で用を足す。

 ホテルは、すべてヴィラタイプ。それぞれのヴィラにジャグジーもしくはプールがついている。入口には、カサと謎のステッキ。ステッキの用途を聞いたところ、モンキーとスクロール(やもりのこと)を追い払うためとのこと。ただし、叩いてはダメとのこと。電源プラグは、BFタイプ。三つ穴だが、真中上の穴はアースでもなくて安全ピンのような役割をもつ。シンガポールも、確かBFタイプだったような気がする。ハンドソープ、ボディソープ、シャンプー、コンディショナーが全部そろっていて、スリッパまである。日本のホテルでは当然かもしれないが、海外ではめずらしい。やはり、日本人観光客が多いせいか。

2003/01/11

 部屋番号は107だったのだが、聞かれたときにはいつも「one zero seven」と答えていた。しかし、復唱は「one O seven」。よく考えてみると、日本語でも「イチマルナナ」と言うのに気づく。朝食中、雨が降り出してテラス席から中に入る。さすが(?)、雨季。雨の降り方は強くなったり弱くなったりで、結局夜まで続いた。午後、雨が弱くなったとき(というか、ほとんど止んだ状態)にジャグジーに入る。

 夕食は、クルマで10分ほど離れたケロン・レストランなるところに行ってみる。ここの会計は、インドネシアのルピアではなくシンガポール・ドル。ホテルもUSドルで、クレジットカードの支払いのみ、インドネシアの法律によってルピアになる。食事は、ロブスターと魚(レッド・ガルーパ)とカニ等々。いけすから出して調理する。ロブスターは選ばせてくれた。最初は客がガラガラで、あとからほぼ満席。圧倒的に韓国人が多い。おかゆとかおそばとか、そんなものを頼んでいた。せっかくインドネシアに来ているのに……。

2003/01/12

 晴れていないせいか、なんとなく寒い。アロマオイルと線香の匂いが、プンプンとする。TVではポケモン、デジモン、ドラえもんがやっている。言葉は中国語……というか、多分広東語。セミの鳴声はキンキンとカン高くて、目覚時計が鳴っているかのよう。シンガポールの街頭では、バスが近づいてきたサインかと思った。また、なにかの鳴声は窓をノックするかのような音。多分サルだと思うのだが、姿は見えなかった。

 晴れてきたので、プールに行ってみる。プールからは、ビーチにも降りられる。赤旗で水泳禁止だったので、波打ち際を歩いてみる。すると、足の裏になぜかタールがべっとりと付く。タール落とし用の洗い場があって、そこで洗浄。カウチでうとうとしていたら、いつの間にか太陽が雲から出ていてバッチシ日焼けしてしまった。ヒリヒリと痛い。

 夜は「サフロン」という名前のホテル内のレストランで、インドネシア料理を食べてみる。いわゆるエスニックな味だが、タイ料理ほど辛くない。しかし聞いてみたら、ここで出している料理は、わざと辛くないようにしているのだという。

2003/01/13

 あっという間に日はすぎて、もうチェックアウト。毎朝、軍用と思われるヘリが海岸を飛ぶ。ちなみに夜は、チャンギ空港発着の飛行機が上空を飛びかう。そして帰りのフェリーは、やっぱり激しく揺れやがる。行きほどではないが、かなりヘロヘロになってシンガポールに帰還。旅行会社のマイクロバスに乗って、シンガポール市街に戻る。ちょっと時間が空いたので、DFS(免税店)で足裏マッサージをしてもらう……が、これがメチャメチャ痛い。

 再びマイクロバスに乗って、シンガポール中央部へ移動。ナイトサファリ。トラムに乗って、夜の動物園(というかサファリ)をまわる。ガイドは日本語なんだが、別にいらないっス。21:00すぎ、チャンギ空港へ向かって出発。このあたりになってくると過労か寝不足か、かなりヘロヘロの状態。なんでもないことで、なんかギスギスした空気になってしまう。24:00ぐらいの飛行機に乗って、朝、成田に到着。Touch Downの衝撃で、目が覚める。スカイライナーの中でも、熟睡。

2003/01/14

 今回も感じたのは、アジアのパワー。「今回も」というのは、ベトナムのとき「も」という意味。日本が、いつまでも世界第二位の経済大国だと思い込んでいると大きな間違いかもしれない。


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