「高畑勲・宮崎駿の世界」第二期講義
「高畑勲・宮崎駿作品と世界のアニメーション」全13回の報告
2003.4.11.〜7.11.
文責/叶 精二
2003年4月〜7月、叶による亜細亜大講義「高畑勲・宮崎駿の世界」の第二期講義「高畑勲・宮崎駿と世界のアニメーション」が行われました。今年は、叶の希望もあり視聴覚機材の充実した中規模教室(350席)での講義となりました。単位の対象は新規一年生と二年生となりました。
2002年同様、講義は金曜5時限目(午後4時10分〜5時40分)。講義後毎回午後6時15分から図書館3階のプレゼンテーション・ルームで課外授業(上映・討論会)を行いました。
今年は、地域交流の一貫として多摩地区の高校から希望者を募り、幾つかの大学の講義を試験的に受講できる「チャレンジ・キャンパス」制度によって3名の高校生(全て女生徒)が講義に参加することになりました。また、単位交換制度によって某大学から受講に来ていた聴講生も数名おりました。聴講申請は約300名。今年は大学自体が新入学者数を数百人規模で制限したこともあり、聴講生は昨年よりやや少な目で、個人的にはホッとしました。
以下は講義聴講者に配布されたレジュメ類と「研究所からのお知らせ」に記された各回の報告を再構成したものです。
●シラバス/講義概要(抜粋)
【授業内容】
「高畑勲・宮崎駿作品と世界のアニメーション」を趣旨として展開する。両監督の出発点となったフランス・旧ソ連の名作長篇、現代アニメーションの到達点と言われるユーリー・ノルシュテイン(ロシア)、フレデリック・バック(カナダ)らの短篇紹介・分析を通じて、世界のアニメーション作品・作家と高畑・宮崎作品の関連性を探求する。より広義には、日頃テレビメディアで見慣れた省略様式のセルアニメーションのみを日本独自の文化的優位性とする風潮を脱し、本源的な意味からアニメーションを捉え直し、その底知れぬ可能性と芸術性を考察する。また、日本の漫画・アニメーション文化の隆盛の起源を十二世紀の絵巻や日本語の言語体系に求めて解析した高畑監督の画期的な日本文化論にも言及する。
【講義計画(予定)】
4月11日 第1回 講義概要/アニメーションの原理
4月18日 第2回 アニメーションの定義(「100人の子供たちが列車を待っている」)
4月25日 第3回 フレデリック・バックの世界1(「木を植えた男」)
5月9日 第4回 フレデリック・バックの世界2(「クラック!」「大いなる河の流れ」)
5月16日 第5回 フライシャー兄弟の軌跡(「スーパーマン」「バッタ君町へ行く」)
5月23日 第6回 ポール・グリモーの世界(「王と鳥」「小さな兵隊」)
5月30日 第7回 ルネ・ラルーの描く異世界(「ファンタスティック・プラネット」)
6月6日 第8回 ロシア・アニメーション(「雪の女王」「チェブラーシカ」)
6月13日 第9回 ユーリー・ノルシュテインの世界1(「霧につつまれたハリネズミ」)
6月20日 第10回 ユーリー・ノルシュテインの世界2(「話の話」)
6月27日 第11回 十二世紀のアニメーション(1)
7月4日 第12回 十二世紀のアニメーション(2) ※課題「感想文」提出期限。
7月11日 第13回 ジョン・ラセターとピクサー社(「トイ・ストーリー」)/まとめ ※課題「視覚玩具」提出期限。
【授業方法】
1〜2回は、講義中心で実際の視覚玩具に触れるなどの内容。それ以降は、主に各作品上映(一部抜粋)と解説・分析を主とする講義、質疑応答によって構成される。また、冒頭5分程度に聴講生による自主発表の場を設ける(詳細後述)。
授業時間外の「課外授業」として、少人数制による作品鑑賞会を毎回授業後6時20分より開催する。より広範な作品を鑑賞し、意見交換などを行う。
【テキスト】
教科書は使用せず、多くの文献を参考に適時レジュメを配布して進める。
基本的には下記4冊を参考図書と指定する。(★…叶が協力した書籍。)
高畑勲著「映画を作りながら考えたこと」(徳間書店/1991)
高畑勲著「映画を作りながら考えたこと2」(徳間書店/1999)
宮崎駿著「出発点 1979〜1996」(徳間書店/1996)★
大塚康生著「作画汗まみれ 増補改訂版」(徳間書店/2001)★
【履修上の留意】
駆け足で作品歴を追うため、各ソフトは各自で鑑賞すること。
また、課外授業として少人数制の上映・討論会を毎回授業直後に開催する(自由参加)。
【成績評価の方法】
試験と以下の課題・提出物4点によって判定する。出欠は特に重視しない。
(1=50点)+(2=20点)+(3=20点)+(4=10点)=計100点満点。
1. 試験(50点分に相当)
内容 課題数件の文章回答形式。ノート・参考書など持ち込み可。実施日程は後日提起。
2. 感想文 A4用紙1枚以上。(20点分に相当)
内容 講義の参考書「話の話」「木を植えた男を読む」「十二世紀のアニメーション」(徳間書店)の3冊から1冊を選んで読み、その感想文を書くこと。内容の要約にならないように。
締め切り 7月4日
3. 動画または視覚玩具 1点。(20点分に相当)
紙媒体を利用した2枚以上(上限なし)の動画(パラパラマンガ)、または視覚玩具を各自が自由な素材で手作りの上、提出すること動画用紙は既製品またはB4版以下の白紙を使用すること。玩具は、マジックロール、ソーマトロープなど単純なものから、凝ったオリジナル玩具まで何でも可。フェニキスティスコープの場合は1枚の円盤状厚紙(スリットを空けること)で可。
締め切り 7月11日(最終日)
4. 各回毎の感想・意見・質疑(各回計10点分に相当)
講義各回配布の「感想・質疑用紙」に記された内容によって判定。授業態度の評価点として設定。
なお、試験・感想文は、授業内容の直接的な理解度だけでなく、論旨の明快さ・見解の独創性を重視する。
動画・視覚玩具については、一般的な絵の上手・下手は度外視し、あくまで動画的完成度とアイデアの面白さ、試行錯誤の努力などを判定基準とする。
【特別加算点と減点(私語対策)について】
毎回冒頭に5分程度の自主参加による聴講生発表の時間を設ける。テーマはアニメーションに関連する内容であれば自由。講義に関する内容でも可。前回時に立候補を募る。内容によって10点満点の評価を特別点として加算する。採点は聴講生による評価と講師による加算点の合算とする。一人最大2回まで発表を行うことが出来る。
また、目に余る授業態度の者、私語の酷い者に関しては、ペナルティとして強制的に5点を減点し、次回冒頭の発表を命じることがある。この場合、次回発表を行えばペナルティは無効として、内容によっては最大5点が加算される。ただし、欠席などで発表を行わなかった場合、ペナルティは有効となり、更に5点が減点される。
【教科書・参考書】
統一した教科書は使用せず、多くの文献を参考に適時レジュメを配布して進める。
基本的には下記3冊を主要参考図書に指定する。(本学図書館所蔵)
高畑勲解説「話の話」(徳間書店/1984)
高畑勲訳著「木を植えた男を読む」(徳間書店/1990)
高畑勲著「十二世紀のアニメーション」(徳間書店/1999)
また、下記4冊を推薦図書として指定する。(本学図書館所蔵)
高畑勲著「映画を作りながら考えたこと」(徳間書店/1991)
高畑勲著「映画を作りながら考えたこと2」(徳間書店/1999)
宮崎駿著「出発点 1979〜1996」(徳間書店/1996)★
大塚康生著「作画汗まみれ 増補改訂版」(徳間書店/2001)★
(★…叶が協力した書籍。)
【履修上の留意点】
作品鑑賞に時間を割かれるため、講義は凝縮したものとなる。
有意義に時間を活用するため、私語は厳禁とする。
参考図書は図書館にも配架されるので、必ず読むこと。
【課題・感想文作成上の参考資料】
●基礎データ、参考論文
高畑勲・宮崎駿作品研究所
http://www.yk.rim.or.jp/~rst/
2002年度の講義報告
http://www.yk.rim.or.jp/~rst/rabo/asia/asia-utop.html
●展示物
三鷹の森 ジブリ美術館 常設展示「動きはじめの部屋」「映画が生まれる場所」
(入館要予約)
●視覚玩具参考用ソフト(本学図書館所蔵)
「不思議な映像実験室」(こどもの城ビデオ)
「課外授業 ようこそ先輩 パラパマンガがアートになった!!/メディア・アーティスト 岩井俊雄」(NHKビデオ)
●第1回講義「アニメーションの原理/講義概要」2003.4.11.
初回講義は、昨年同様「映像とは何か?」「動く絵のメカニズム」について話しました。具体的には網膜残像と間欠運動の原理、視覚玩具とフィルム発明の体感と実験、映画とアニメーションの誕生の歴史などです。昨年の初回講義のスピードを落とし、より丁寧な解説に務めました。
後半は講義日程とシラバスの解説を行いました。今年は昨年の教訓を踏まえ減点制などの私語対策を盛り込んだのですが、昨年の聴講生よりずっと私語が減っており、その点は円滑に進められました。
講義後のアンケートでは、「絵が動く原理に驚いた」「予想していた講義とは違ったが楽しかった」など概ね好評の様子でした。今年は、アンケートは出欠用紙の機能を捨て、参加意欲をはかるものとして意見のある者のみの任意提出としました。
課外授業では、「アードマン・アニメーションズ(イギリス)」の短編を多数扱い、上映と意見交換を行いました。こちらの参加は昨年同様小規模で、6人でした。
(報告/2003.4.23.)
●第2回講義「アニメーションの定義」2003.4.18.
前回の復習も兼ねてチリのドキュメンタリー「100人の子供たちが列車を待っている」(イグナシオ・アレグロ監督/1988年)を抜粋上映。ピノチェト独裁政権下の教会で、映画とアニメーションの原理や視覚玩具の作成法などを学ぶ貧しい子供達の姿を活写した名作です。
続いて、映画とアニメーションの違い、「アニメーション」の語源と定義、「アニメーション」と「アニメ」の差異、アニメーション制作行程の実例などについて話しました。参加は約200名前後。
課外授業ではブジェチスラフ・ポヤル監督の短編4作品を扱い、上映と論議を行いました。参加は6人で、「人形の持つ情感に感動した」などの意見が寄せられました。
(報告/2003.4.23.)
●第3回講義「高畑勲・宮崎駿両監督の特異性と作風の差異」2003.4.25.
一般に「スタジオジブリ」で一括りに混同視されがちな高畑・宮崎両監督の簡単な歴史的経緯と、昨今の全く異なる作風と技術志向について展開しました。ファンタジーの王道を歩む宮崎監督と現実逃避の場としてのファンタジーの氾濫に危機感を唱える高畑監督、常に新技術の開拓を志す高畑監督とセルアニメーションの継承発展を目指す宮崎監督、といった内容が主。
後半に両監督が共に大きなショックを受けたと語るカナダのフレデリック・バック監督の短編「クラック!」(1981年)を上映しました。
課外授業はリクエストによりイワン・イワノフ=ワノ監督「イワンと仔馬」(1947年版)を上映。ロシア・バレエを彷彿とさせる流麗な動き、セルと背景の一体となった様式美、淡い色使いなどを解説しました。参加は7人。
(報告/2003.5.28.)
●第4回講義「フレデリック・バックの世界(1)」2004.5.9.
今回のテーマは「木を植えた男を読む」。
冒頭「クラック!」のどこが優れているのか?という質疑に対し、第一に動きの中心に立ち現れる空間描写とめくるめく流動的なカメラワーク、第二に大胆な省略と白味を生かしたバック氏曰く「夢のような」画風、第三にケベック地方の数十年に亘る伝統文化や生活様式の変遷をそのまま封じ込めた内容的密度などを説明しました。また、高畑勲監督作品「おもひでぽろぽろ」(1991年)の過去編がバック氏の作風を意識して白味を生かした色調となっていること、「ホーホケキョ となりの山田くん」(1999年)が水彩画調の抜けた画風になっていることなども併せて紹介しました。
続いてバック氏の代表作「木を植えた男」(1987年)を上映し、その解説を高畑勲監督の訳著「木を植えた男を読む」に即して行いました。
回収したアンケートによれば、作品自体は中高生時代に授業などで見たことがあるという聴講生も数人いたようですが、内容的な考察は初めてだったらしく、ジャン・ジオノの原作の存在とバック氏の創作姿勢に感心した人が多い様子でした。
課外授業は川本喜八郎監督特集。「鬼」「道城寺」「火宅」など。参加は9人。「情念の世界に圧倒された」などの感想が寄せられました。
(報告/2003.5.28.)
●第5回講義「フレデリック・バックの世界(2)」2004.5.16.
今回のテーマは「『大いなる河の流れ』と『柳川堀割物語』」。
冒頭、人間と河の関わりを歴史学的考察で綴り、セント・ローレンス河の浄化・再生を訴える「大いなる河の流れ」(1993年)を上映・紹介。あえて作劇上のカタルシスを棚上げし、現実との煩わしい関わり方に踏み込んだ作風の意味をバック氏の言葉を交えて考察しました。日本に於ける水と人間の関わりという点で、その実例と実践を示した高畑勲監督、宮崎駿製作のドキュメンタリー「柳川堀割物語」(1987年)があることを紹介し、水路浄化のエピソードを中心に抜粋上映しました。高畑・宮崎両監督の社会的実例から創作のヒントを得るという姿勢は、「平成狸合戦ぽんぽこ」(1994年)から「千と千尋の神隠し」(2001年)のオクサレ様〜河の神様のエピソードにも引き継がれている浄化運動の実例を話しました。聴講生は高畑・宮崎両氏がドキュメンタリーを制作していたことと、日本で実際に水路環境浄化の実例があったという二重の意味で、この作品の存在に驚いた様子でした。また、「おもひでぽろぽろ」(1991年)の農村青年トシオの台詞「自然は人の手が加えられた風景だからこそ懐かしい」という内容についても展開しました。参加は約110人。
なお、当時は、「柳川堀割物語」の中心人物である元柳川市水路課長・広松伝氏の命日でした。
課外授業はカレル・ゼーマンの「悪魔の発明」「水玉の幻想」を上映。参加は5人。「ガラス細工の人形が動くとは思わなかった」「奇妙な機械の動きが面白かった」などの感想が寄せられました。
(報告/2003.5.28.)
●第6回講義「フレデリック・バックの世界(3)」2003.5.23.
今回のテーマは「高畑勲監督とフレデリック・バック氏に通底する思想と『平成狸合戦ぽんぽこ』」。
冒頭の質疑応答で「世界の様々なアニメーションを見せて欲しい」という要望に応えて、10作各30秒〜1分程度の抜粋を上映・解説。多彩な技術と幅広い表現様式に多くの聴講生が興味を持った様子でした。下記は抜粋一覧です。
・ヤン・シュヴァンクマイエル(チェコ/1982年)「対話の可能性」
・ニック・パーク(イギリス/1994年)「ウォレスとグルミット〜ペンギンに気をつけろ!」
・イジィ・トルンカ(チェコ/1959年)「真夏の夜の夢」
・コ・ホードマン(カナダ/1977年)「砂の城」
・ノーマン・マクラレン(カナダ/1955年)「線と色の即興詩」
・ジャック・ドルーアン(カナダ/1976年)「マインドスケープ」
・ヨーゼフ・ギーメッシュ(ハンガリー/1982年)「英雄時代」
・カレル・ゼーマン(チェコ/1957年)「悪魔の発明」
・川本喜八郎(日本/1972年)「鬼」
・岡本忠成(日本/1976年)「あればだれ?〜いえで」(1982年)「おこんじょうるり」
・特偉「牧笛」(中国/1963年)
講義では1999年12月4日にNHK-BSで放映された「わが心の旅〜旅人・高畑勲/木を植えた男との対話」の抜粋を上映。日本企業も関わるカナダの森林伐採の現状、先住民・ハイダ族の生き方などを通じて、高畑監督とバック氏との深い思想領域での交感を示唆した番組です。ここでの提起を踏まえて、人の手が加えられた里山保全の重要性を作中で扱い続けた高畑監督、人の手の加わらない原生林に憧れる宮崎監督という両者の「自然」描写をめぐる差異について展開し、1994年の高畑監督作品「平成狸合戦ぽんぽこ」(1994年)を改めて扱いました。
「この作品はファンタジーではなく空想的ドキュメンタリーである」という高畑監督を言葉の意味を考察し、いかに現実に即したドキュメンタリー的要素が濃厚であるかを話しました。具体例として、舞台のモデルの一つとなった東京都町田市能ヶ谷の里山が潰されてしまった件、都市に出没するタヌキの生態と保護活動のニュースビデオなども上映しました。
また、閉ざされた空想ファンタジーの御都合主義的カタルシスをあえて拒否した啓発・告発型の演出に対して、その裏にある現実を見ずに一方的な拒否感か無関心しか示されない批評の貧困についても触れました。参加は約100人。
課外授業は岡本忠成監督特集とリクエストによりヤン・シュヴァンクマイエルの短編数作を上映。聴講生は「おこんじょうるり」などの岡本作品に感動した様子でした。参加は5人でした。
(報告/2003.5.28.)
●第7回講義 「マックス&デイブ・フライシャー兄弟の軌跡」2003.5.30.
今回のテーマはマックス&デイブ・フライシャー兄弟の「バッタ君町へ行く」(1941年)「スーパーマン」(1941〜42年)などについて。参加は約100人。
「天空の城ラピュタ」「(新)ルパン三世/第155話 さらば愛しきルパンよ」に登場するロボットのルーツとして、フライシャーの「スーパーマン/メカニカル・モンスターの巻」を上映。「そっくりな展開とデザインに驚いた」という感想が多々寄せられました。
次に、宮崎監督が幼少期に見て強く印象に残っているというフライシャーの長編第一作「ガリバー旅行記」(1939年)の一部を紹介。「ラピュタ」の設定原案をスウィフトの原作版「ガリバー旅行記(後編)」から得ている点についても話しました。
ほか、「紅の豚」に登場するミラノの映画館で上映されているフィルムがフライシャーの「ベティ・ブープ」(1932〜39年)風であること、宮崎監督が過去にフライシャーを評価した文章の紹介などを行いました。
また、フライシャーの歴史的評価(ディズニーに先行してアメリカのアニメーションを牽引して来た歴史や、長編の興行的失敗など)にも触れ、その集大成として「バッタ君町へ行く」の一部を紹介しました。「ディズニーと同時代に優れた長編を作っていたスタジオがあったとは驚いた」といった感想もありました。
課外授業は「バッタ君町へ行く」の全編とイジィ・トルンカの大作長編「真夏の夜の夢」(1959年)を上映。参加は6人。いずれの作品も「群衆シーンも各キャラクターの動きも素晴らしい」と絶賛の声が聞かれました。また、日本に於けるトルンカ研究の第一人者であるおかだえみこ氏の新著「人形[パペット]アニメーションの魅力〜ただひとつの運命」(河出書房新社/5月25日発売)を推薦図書として紹介しました。
(報告/2003.7.1.)
●第8回講義「やぶにらみの暴君」/「ファンタスティック・プラネット」2003.6.6.
今回のテーマはポール・グリモー監督作品「やぶにらみの暴君」(1952年)とルネ・ラルー監督作品「ファンタスティック・プラネット」(1973年)。どちらもフランスの長編ですが、元々別日で扱う予定がセットになってしまったため、異色の組み合わせとなってしまいました。参加は約90名。
「やぶにらみの暴君」は、高畑監督をアニメーションの道へ誘った名作長編。宮崎監督も「昇り下りを繰り返して舞台の高さを表現する技法に学んだ」と語っており、「長靴をはいた猫」「未来少年コナン」「ルパン三世 カリオストロの城」などの昇降シーンを抜粋上映して、その成果について細かく展開しました。
ただし周知のように現在見られるのは改作版「王と鳥」(1979年)のみであるため、27年に及んだ制作経緯やグリモーの意図などを補足的に展開しました。
「ファンタスティック・プラネット」は宮崎監督の感想文と共に一部紹介。また、ラルー監督が宮崎作品の熱心なファンであること、高畑監督が昨年度渡仏された際に親交を深められたことなども話しました。原画を担当したローラン・トポールの奇怪なデザインと配色に違和感を覚えた聴講生が多かったらしく、「気味が悪い」という感想が多々聞かれました。一方で「大変気に入った」「もっと見たかった」という意見も少数ありました。
課外授業はポール・グリモー監督の長編「王と鳥」と短編「小さな兵士」(1947年)、イジィ・トルンカの短編「草原の歌」(1949年)を上映。参加は5人。「王と鳥」については、「思ったよりも音楽や話運びがあっさりとした展開だと思った」「ロボットの動きが良かった」といった感想が聞かれました。ジョン・フォードの「駅馬車」のパロディである「草原の歌」は、元ネタを知らない若い聴講生からも笑い声が聞かれるなど好評でした。
(報告/2003.7.1.)
●第9回講義「『雪の女王』とソ連邦動画スタジオ」2003.6.13.
ソ連の名作長編「雪の女王」(1957年)についての宮崎監督の強い思い入れと、初見当時の東映動画について解説を行いました。アンチ・ディズニーの積極的少女像としての主人公・ゲルダの画期的な登場、「風の谷のナウシカ」のクシャナ〜「未来少年コナン」のモンスリー〜「どうぶつ宝島」のキャシーなど主人公と対立する屈折型の女性が心理的に解放されて味方に転じるという展開のルーツに「雪の女王」の山賊の娘が位置づけられる―といったおかだえみこ氏のキャラクター系譜説を援用。宮崎監督の「アニメーションの特性としてキャラクターの心理的変化も動きとして表現し得る」という主旨の発言も併せて紹介しました。
同じく絶頂期のソ連邦動画スタジオ(ソユーズ・ムリトフィルム)制作作品として、ユーリー・ノルシュテイン監督の師でもあるロマン・カチャーノフ監督の「チェブラーシカ」シリーズ(1969〜83年)も紹介。近年のいわゆる「アート・アニメーションブーム」の火付け役となった経緯、50年代末「雪どけ」以降のソ連の映画・アニメーションの傾向についても補足的に話しました。参加は約80人。
課外授業は東映長編「どうぶつ宝島」(1971年/池田宏演出)と、初期東映長編予告編メドレーを上映しました。「どうぶつ宝島」はアクションに次ぐアクションのアイデアとギャグ、緩急のテンポなどが大変好評でした。参加は5人。
(報告/2003.7.1.)
●第10回講義「ユーリー・ノルシュテインの世界(1)」2003.6.20.
テーマは、ユーリー・ノルシュテイン監督作品「霧につつまれたハリネズミ」(1975年)と「話の話」(1979年)。参加は90人。
1995年5月4日にNHK-BS2で放映された「切り絵アニメの詩人 ユーリー・ノルシュテインの世界」からインタビュー、作品などを抜粋上映。高畑監督とノルシュテイン作品の出会い、スタジオジブリ(及び同美術館)とノルシュテイン監督の交流について、「ハリネズミ」の驚異的な切り絵技法など、補足解説を加えながら進行。「とても切り絵とは思えないなめらかな動き」「霧の質感に驚いた」などの感想が相次ぎました。
「話の話」は上映のみで解説は次回となりました。「話の内容が分からない」という反応が圧倒的で、「オオカミのユーモラスな振る舞いが面白かった」といった感想や、「水や火をどうやって採り込んで撮影しているのか」などの疑問も多く寄せられました。
課外授業はブルーノ・ボゼット監督の長編「ネオ・ファンタジア」(1976年)、スーザン・ピットの短編「ジョイ・ストリート」(1995年)を上映。「ネオ・ファンタジア」のエピソードの一つ「悲しきワルツ」(シベリウス作曲)は高畑氏が文庫版「話の話」の解説で引用された作品で、廃屋に残された猫の視点から幸福だった過去を回想するという展開に似通ったモチーフが見られます。 「ネオ・ファンタジア」は他にも爆笑シーンの連続で、「グラフィカルなタッチで作られたセルアニメーションに表現の幅が感じられた」などの感想が聞かれました。参加は4人。
(報告/2003.7.1.)
●第11回講義「ユーリー・ノルシュテインの世界(2)」2003.6.27.
テーマは、前回に続きユーリー・ノルシュテイン監督の「話の話」と「外套」。参加は約90人。
冒頭、高畑監督が繰り返し語っておられる「詩的構成」について、ジャック・プレヴェールや谷川俊太郎の詩を具体的に提示し、モンタージュ的飛躍や物語に縛られないイメージの広がり方について補足的に展開しました。
次に、用意した「『話の話』の高畑解説に基づく構造図」を配布し、2面スクリーンの片側にカラー版構造図を投影。もう片方のスクリーンに「話の話」本編の該当箇所を再生し、立体的な解説を試みました。廃屋となったアパートに取り残されたオオカミの子を中心に、海辺の家族、戦禍で男たちを失う女性、りんごの少年と夫婦という三つのイメージが複雑に混在する作品の不思議な魅力について、各イメージの高畑監督による解釈を話しました。「作品の進行や各エピソードの意味するところが少し分かった」といった感想が多々寄せられました。
最後に次回作として「外套」制作に至ったエピソード、ニコライ・ゴーゴリの原作についてなどを展開した後、未完成版の一部を紹介・上映。主人公アカーキィ・アカーキェヴィッチの演技設計の凄まじさに感動したという感想も幾つか寄せられました。
課外授業はジョン・ハラス&ジョイ・バッチェラーの長編「動物農場」(1954年)、カナダのコ・ホードマン監督の「砂の城」(1977年)「シュッ・シュッ」(1972年)ほか短編数本を上映しました。聴講生は、ハラスらのアニメーション技術よりも原作者であるジョージ・オーウェルの左右を問わない全体主義批判の物語に込められた重い政治主張にショックを受けた様子でした。参加は5人。
(報告/2002.7.1.)
●第12回講義「ユーリー・ノルシュテインの世界(3)」/「十二世紀のアニメーション(1)〜伴大納言絵巻」2003.7.4.
講義前半がユーリー・ノルシュテイン監督の「外套」、後半が「十二世紀のアニメーション〜伴大納言絵巻」。参加は約110人。
冒頭、1998年7月15日にNHK教育で放映された「未完の大作アニメに挑む−映像詩人ノルシュテインの世界−」から制作風景とインタビューなどを抜粋上映。顔だけで10種類以上、手だけで100種類を超える切り絵パーツのヴァリエーションには「信じ難い」という驚嘆の感想が多く寄せられました。
同番組でノルシュテイン監督は、「ソ連邦崩壊後、自由主義経済導入の代償として芸術家への援助は断ち切られ、人心の荒廃と経済の混乱、犯罪の凶悪化などが噴出した」「抑圧者は被抑圧者の心に復讐心と新たな抑圧の種を植え付ける」「被抑圧者が権力を持った時、その復讐は2倍、3倍になる」「かつての奴隷が支配者になった時、更なる悪政が起きる」と切々と語っています。「外套」という悲劇は、抑圧が本人も社会も滅ぼすという「人間の罪と恥」についての物語であり、だからこそ現在ロシアで作り続ける意義があるのだと監督は語りかけます。これは、まさに9・11テロ後の米によるアフガニスタン(タリバン政権)〜イラク(フセイン政権)に対する制圧・撲滅型戦争とその後の反発(散発的に続く抗戦・拡散するテロ)を彷彿とさせる内容でもあります。
続いて、内容を一転させ「十二世紀のアニメーション」について。本書の概要について解説した後、高畑監督が「伴大納言絵巻」について解説した1999年6月NHK放映「新日曜美術館〜十二世紀のアニメーション 伴大納言絵巻」の抜粋を応天門炎上シーンを中心に上映。
「十二世紀の絵巻にカメラワークが使われていたとは驚いた」「絵巻がこれほど面白いものだとは歴史や美術の授業では教えられて来なかった」などの感想が多く寄せられました。
今回は、課題図書3冊から1冊を選んでの読書感想文レポートの提出期限。聴講者139名中、110通が提出されました。内訳は「話の話」53通、「木を植えた男を読む」49通、「十二世紀のアニメーション」8通でした。前2冊のレポートは講義で扱ったこともあり、簡潔にまとめられたものが多く見られました。「十二世紀のアニメーション」は高畑監督の解釈よりも絵巻物の美しさや楽しさに傾いた内容が多かったのですが、中には冒頭の論説に踏み込んだ力作もありました。
課外授業は「アニメ界の機関士・大塚康生〜動きにとりつかれた男の人生」(2002年1月14日テレビ東京にて放映/浦谷年良演出)と芹川有吾演出「わんぱく王子の大蛇退治」(1963年)。「作画行程を丁寧に見せたドキュメンタリーを初めて見た」「ラストの大蛇退治シーンは大迫力で素晴らしかった」などの感想が聞かれました。参加は9人。
(報告/2003.7.22.)
●第13回講義「十二世紀のアニメーション(2)〜日本語の特異性とアニメーションの関係」/「高畑・宮崎作品が諸外国のアニメーション作家に与えた影響について」2003.7.11.
講義前半が「十二世紀のアニメーション〜日本語の特異性とアニメーションの関係」、後半が「高畑・宮崎作品が諸外国のアニメーション作家に与えた影響について」。参加は約130人。
冒頭、最初で最後の聴講生による自主発表が行われました。参加型の講義を目指して初回からずっと自主発表者を公募して来たのですが、最終回にただ一人、某大学から単位交換で特別聴講生として毎回課外まで参加していた女性が立候補してくれました。内容は本講義の全般的な感想と要約で、わずか5分でよくまとった内容に、多くの聴講生から拍手が起こりました。
講義では、前回・前々回と受講生からの要望が多かった山村浩二監督の「頭山」(2002年)のアヌシー最高賞受賞の経緯と作品を紹介。「ブラックな笑いとハイセンスなデザイン」「ビリビリとした動きが新鮮」などの感想が聞かれました。
前回に続いて「十二世紀のアニメーション」を扱いましたが、時間の関係もあり、本書の核心的な推論である「日本語を使う限り、日本人はアニメーションやマンガを好む傾向になる」という内容について解説しました。日本語の音声とビジュアル(表記)の曖昧な二重性、オノマトペの多用、絵描きうたなど。
(詳細はここを参照して下さい。→ http://www.yk.rim.or.jp/~rst/rabo/takahata/syohyo_2.html)
続いて最終テーマの「高畑・宮崎作品が世界に与えた影響」について。
まず、ジョン・ラセター監督と宮崎監督の20年余に亘る交友の歴史、ラセター監督が「千と千尋の神隠し」の吹き替え版制作から北米公開までに尽力されたこと、「トイ・ストーリー2」の名シーン(ジェシーの回想前後)が「となりのトトロ」に学んで演出されたことなどを話しました。
一方、高畑監督がラセター監督率いるピクサー社作品を高く評価している根拠として、日本では圧倒的主流派である「思い入れ」型主観主義(*注1)とは違った「思いやり」型客観主義(*注2)の演出について展開し、今夏公開の高畑監督監修・訳の長編アニメーション「キリクと魔女」にもそれが違った形で伺えること(*注3)も併せて展開。また、「キリクと魔女」のミッシェル・オスロ監督は、高畑監督のファンであり、昨年の来日時に先方が対談相手として高畑監督を指名したことが今回の日本公開の切っ掛けとなったことも紹介しました。
また、主観型の物語の氾濫は、自己拡張幻想やヒーロー・ヒロインなりきり願望を高める一方で、他者へのいたわりや労いの情緒を減じさせる危険性がある―という高畑監督の昨今の言説を引用し、それはノルシュテイン監督が「外套」のテーマとして掲げる「人間の恥」にも通じるのではないかと提起しました。現代日本に置き変えるなら、少年犯罪の一層の低年齢化と残虐化、自民党議員の女性蔑視暴言の多発などを想起せざるを得ず、このテーマは今後ますます重く大きなテーマとして考えざるを得ない―として締めくくりました。
最後に、高畑監督やノルシュテイン監督らを含む国内外35人のアニメーション作家による連句アニメーション「冬の日」が今秋公開されるという報告(*注4)と、ノルシュテイン監督が絶賛した「岸辺のふたり」(マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督/2000年)を紹介して講義を終えました。
今回は、課題である視覚玩具の提出期限。創意工夫をこらしたマジックロール、ソーマトロープ、パラパラマンガなどが寄せられました。中には、直径30センチもある大きな自作フェナキスティスコープもありました。
課外授業は日本の名作短編集。近藤喜文氏演出「ニモ/パイロット版」(1984年)、藪下泰司演出「こねこのらくがき」(1957年)、森康二演出「こねこのスタジオ」(1959年)、政岡憲三演出「すて猫トラちゃん」(1947年)と「くもとちゅぅりっぷ」(1942年)。予想通り、政岡作品の完成度の高さは若い聴講生諸君にも大好評で、「こういう素晴らしい作品が今は全く作られていないことが残念だ」という反応が多く返って来ました。
若干余った時間でリクエストに応えて、ノーマン・マクラレンの「色彩幻想−過去のつまらぬ気がかり」(1949年)「隣人」(1952年)「ドル札の踊り」(1943年)などを上映しました。「色彩幻想」では眼の痛みをうったえる聴講者が約一名おりました(苦笑)。参加は6人。
講義の日程はこれで全て終了となりましたが、成績評価の目安として今年は文章回答のみの試験も7月25日に実施します。以降は昨年同様、成績評価に追われることとなります。
(*注1)主人公の主観を通じて世界を見せるため、カメラは常に寄り添い、観客の強い思い入れや興奮を誘発する。一方、他者の視点や周辺世界のディテールは視界から外されてしまう。しかも物語は「巻き込まれ発端〜超能力解決」型で、充分な思慮や選択の余地がない。
(*注2)主人公をオモチャやモンスターなど人間以外に設定し、適度な距離感で世界全体や周囲の他者との関係性を見せる。
(*注3)「キリクと魔女」の場合、平面的な舞台設定や抑制されたカメラワークにより、より客観性が浮かび上がる。主人公は幼児のキリクだが、充分悩んだ末に自己選択するため、日本型主観ドラマとは正反対。これは「ホーホケキョ となりの山田くん」で高畑監督が試みた志向性に通じるところが多い。
(*注4)配給元であるイマジカ社の協力と許可を得て、宣伝チラシ(コピー)を配布しました。
(報告/2003.7.22.)