あるときふと──赤ずきんちゃんがもはや感動的なものでなくなり、あそびあきてしまったおもちゃにさよならをするとき──物語からパロディーが生まれるのを受け入れる。ひとつには、パロディーにこの離別を認める力があるからであり、ひとつには新しい視点が物語りそのものへの興味を復活させ、物語を別の軌道に乗せるからである。子どもたちがたわむれる相手は、もはや、赤ずきんちゃんではなく自分自身である。