【『王立宇宙軍』】
 公開当時の題は『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(バンダイの渡辺繁氏による とこの順序が正しいそうだ)であるが、制作スタッフが意図したタイトルは『王立宇宙 軍』であるため、こちらを採用する。くわしくは「メモリアルボックス」の解説書を参 照のこと。
































【「王立宇宙軍メモリアルボックス」】
 公開当時、上映時間の都合でカットされた約1分のシーンを含む。いうまでも なく、その方が制作スタッフの意図に近いからである。
































【緻密な描き込み】
 緻密な描写が必ずしも「自我」の横溢をもたらすわけではない。押井守の近作『機動警察パトレイバー2』においては、『王立宇宙軍』に匹敵する細密な描写がなされているが、この作品においてはむしろ「世界」の中に「自我」が拡散している。
































【名前】
 とはいえ、「名前を認める、与える」ことが他者の認知の鍵となる事実は本編の以下の台詞に明らかである。

「部品には全部ワシが責任を持って命名してある。今のところ、名前のついていない部品はおまえ(引用者注:シロツグ)くらいなもんだ」(グノォム、0:36ごろ)

































【血の繋がり】
 本編のキャラクターで唯一グノォムだけは血縁者(妻と息子夫婦)が画面に示されている。しかし、これは彼がいなくなったあとの葬儀の場である。つまり、グノォムのある一面を示すものではあるが、彼らの存在がグノォムにとって何らかの動機づけになったわけではない。また、リイクニがマナの両親について語る場面があるが、両親から引き離されていることがストーリー上マナに影響を与えてはいない。
































【「(将軍の)また次の手」】
 同僚の葬儀の場での台詞。より詳しく引用すると、「あいつ(=将軍)はまだあきらめちゃいないよ。また次の手をかなら(ず)……」。
































【牛乳】
 「王立宇宙軍」のパイロットフィルムにはこれと同じ場面がすでに使われており、そこにも(ややデザインは異なるが)この牛乳がある。ただし、この時点から本編で見られるような牛乳の描写が考えられていたかは不明。
































【鏡を見て櫛で髪をとぐシロツグ】
 この2つの場面がいずれもシロツグの視線からの描写であったことは注目されていいだろう。(実写では不可能な描写)
































【ほぼ同じアングル】
 この場面を実写映画として考えた場合、「カメラを回すネッカラウト」を映すもう一つのカメラの存在が想定されることになる。
































【「文明論」的な論点】
 このような点のみから直接に作品の「思想」や「論旨」を抽出する方法を否定するわけではないが、筆者は危険だと考える。それはこうした台詞が「作品の主張」である以前に、リイクニなりカイデンなりシロツグの「ことば」として語られたものだからである。