【「処士横議」バックナンバー】
いまさら言えた義理じゃないけれど
―1997年3月2日―
3月になったことだし(あんまり関係ないと思う)、日曜日だし、日曜日の昼過ぎごろからはものすごく混むし、秋葉原までそんなに遠くない地の利を活かして午前の10時ごろから秋葉原まで本とCDを買いに行ってきた。
秋葉原というとコンピューターと周辺機器とソフトと家電の街だと思われている向きもあるかも知れないし、それはそうなのだ。WWFの奥田氏がパソコンのメモリをどかどか増やしたのは秋葉原のおかげである。だが、私のばあい、どうも本とかCDとかLDとかを買いに行く頻度のほうが高い。あ、あと焼き肉を食いに行くというのもあったかも知れない。
某立ち食いそば屋で遅い朝食をとる。うまいから選んだ店ではなくて、某書店と某レコード屋(CDもLDも「レコード」の一種とみなす)の中間にあるからというだけの理由でときどき行く店である。立ち食いで旨いところとかあるらしいが、私のばあい、立ち食いの味はあんまり問題にしないほうである(いや、標準をはるかに下回ったりすると気にする。高くてまずいところというのもあるんだこれが……)。味を気にするのなら座って落ちついて食えるところに行くつもりであるし。で、ここは味はまあまあで価格はまあまあの安いほうといったところだが、夕方に行くと七味の出がわるい。昼飯前に行ってみると七味を振るとばんばん出てくる。いやべつにいいんだけど。立ち食いそばのことなんかは、私なんかよりずっとたくさん食っているはずのへーげる奥田氏がまた書くであろう。いちおう「空談寸評」の目次にリンク張っておこう。
ここのところ、入ってくるいろいろな「情報」を処理しきれないという状況がつづいている。
私の住居は、住んでいる場所からすると、一人当たりの専有面積としては相当に広いほうではないかと思う。それでも家中に本とかCDとかLDとかが増えて居住環境を圧迫している。床に置きっぱなしになっているものを机の下に押し込まないと布団が敷けない状態だ。経済的にも余裕があるわけじゃない。だから、自分で買う本とかCDとかはかなり厳選しているつもりである。それでも、なんか知らないが買ってしまうのである。
本屋とかCD店とかで棚のまえに立つと、本を読むのにもCDを聴くのにも時間がかかるという感覚がはるかオールトの雲のかなたに薄らいでしまう。何冊買っても一日二日でぜんぶ読めて、CDもそれだけの時間で飽きるまで聴けてしまう――そんな自分の能力への過信が生まれてしまうようだ。それに、過去に出会った本で「おもしろそうだけど、またこんどにしよう」と思ってそのまま入手不可能になってしまった本も多い。そうやって買うことのできなかった本のよい評判をヒトからきくと非常にくやしい。そういう思い出が後ろから脅している。それでなんか知らないが買ってしまうのである。
貨幣経済というやつの本質をここで思い知らされるような気がする――なんて思うのは私だけ……だったりして。いや、何を言いたいかというと、購入者がある商品を買おうとする。そこで購入者が考えるのは、ほんらい、それを自分が買うとどういう利益があるか、それを消費するのにどれぐらいの時間が必要か、それをきちんと消費するためには他にどういうものや情報が必要か(たとえばパソコンのソフトをふつうに「消費」するには一定のスペックを持ったパソコンのハードウェアが必要だ)、それの購入を後回しにしたら後にどういう利益やリスクが見込まれるか――などと言った多種多様なことのはずである。そういう、貨幣には換算しにくい要素を、いくつか仮定を立てることで換算しようと試み、その商品の価格が自分にとって高いか安いかを判断して、買う。
もちろんそこで立てた仮定なんかその商品を手にすればきれいに忘れてしまうことのほうが多い。だから、読むはずで買った本が読まれないままほこりをかぶって死蔵されることになる。聴くつもりだったCDがそのままラックのなかに何年も忘れられてしまうようなことも起こる。買うときには「読むつもり」・「聴くつもり」だったのだが、商品を手にしたときに一時的に立てるラフな人生設計なんてその程度の精度しかないものなのだ。余談であるが、悪質訪問販売とかでひっかかるのもこの点で、訪問販売者は自分が売ろうとしているものの価値を高く感じさせるような仮定を会話のなかに滑りこませ、それを意識しないうちに被勧誘者にその仮定を自分の本来の願望だと思いこませてしまうわけである。そこで、被勧誘者は、ついお金をなめてしまって、お金がお金を生むなんて調子にのってしまうのである。
しかし、商品を買うときにやりとりされるのはあくまで貨幣だけである。悩みに悩み抜いて買っても、たんなる衝動買いでも、予算が余ったからあんまり必要ではないけど買うというのでも、払う貨幣の量(価格)は変わらない。
「自分は買おうか買うまいか迷っている」ということを材料に売り手と価格交渉をすれば価格はちがってくるが、そのときだって、重要なのは、ほんとにそれを買うかどうか悩んでいるかということではなく、いかに売り手に悩んでいるように見せるかということである。衝動買いでも「もうちょっと安ければ買うんだけどなあ、今日はやめとこうかな」と、淡白そうな態度を示せば売り手はまけてくれるかもしれない。
いや、ここで言いたいのは、それだけじゃなくて、買い手のほうも、その種類の商品を買うのに慣れてしまえば、そういう多種多様なことをしだいに考えなくなってしまうということである。たんにこの本は高いとか安いとかいうことしか考えなくなってしまう。しかも、最初は、「この本はこの内容でこの装丁でこの値段で、でも自分は装丁なんかあんまり気にしないから……」といろんなことを考えていたのが、そのうちに「この分厚さでこの値段は……」というようにだんだん判断基準が単純になってきてしまう。
ここでは本を例にした。本ならば、大量販売するものはシリーズ化されていてブランドの定評というのもあるし、著者名などで絞り込みが可能で、かなり一見して得ることのできる情報量が多いからまだいい。しかし、もっとその属性のわかりにくいものは、消費者がその種類の商品を買うのに慣れた段階で、消費者が気づきにくい属性をひそかに削り落としてコストを落として廉売するという手で市場でのシェアを広げるということが可能だったりする。市場経済の属性のひとつである。
――いや、だからどうってことはないんですが。
ちなみに、ここのところ、本やCDに関しては、衝動買いに近い買いかたをしてもあまりハズレのものを掴まされることはなくなった。それに、あくまで私の例であるが、本屋やレコード屋で財布の紐が固くなるときにはどうも精神的・肉体的に低調であるばあいが多いように感じる(そういうときにかぎってメシ屋や飲み屋で大金を使ったりしたりするんだけど)。逆に、本屋やレコード屋で衝動買いができるときには、どっちかというと好調なときが多いようだ。ただし徹夜明けなどで異様な興奮状態にあるときは別にして、だが。そういうときって、ほんと、買ったのを覚えていないのに気がついてみると本やCDを買っているというノリに近いものがあったりするからね。
さて、今日、買ってきたCDから。最初は本屋で買ってきた『スレイヤーズ』シリーズ(神坂一、富士見ファンタジア文庫)のこととか書くつもりだったのだが、長くなったのでまたこんどね。
・椎名へきる「だめよ!だめよ!だめよ!!」(シングル)
NHK教育のアニメ『YAT安心!宇宙旅行』のエンディングテーマである。いやまあそれだけのことなんだが。もともと、この曲が聴きたくて、椎名へきるの最新アルバム『with a will』を買ったら入ってなかったので、けっきょくシングルを買う羽目になったのだが、このアルバムのほうも聴いていたらたいへん気に入ってしまった。最初のうちは、徹夜態勢で「目を覚ませ、男なら」(Remix Version)とか聴くと「うるせー! 20時間以上前から目ぐらい覚ましとるわいっ!!」とか怒ったりしていたのだが(そんなときに体鍛えたら倒れちゃうよ……)。
椎名へきるは、二日間、武道館をいっぱいにしたというような話も聞いた。ま、このアルバムは私はたいへん気に入ってしまったわけだが、このアルバムに関して言えば、椎名へきるの声質と歌の内容(歌詞だけでなく曲とかアレンジとか演奏とかぜんぶ含めて)やコンセプトがよく合ってるんじゃないかという気がする。「だめよ!だめよ!だめよ!!」も、曲の内容からするとこのアルバムとひとつづきのものという感じがする。
ちなみに、椎名へきるは、『ヨコハマ買い出し紀行』のCDで主演(アルファさん)を演じているそうである。『YAT』では弱小旅行会社のかなりへんな(謎も多い)添乗員のお姉さん天上院桂役である。
・The Rhythm Kings「調子にのっておりました」(シングル)
前回のこのページで取り上げた『魔法少女プリティサミー』のエンディングテーマである。恐るべきことにあの20話「ともだち」のあともこのエンディングだった、まあいいけど。それで切り替えができたのもたしかだけどね。あのエピソードでエンディングまでシリアスだったらもっとあとに引いていたぞ、きっと。
しかし、これってほんとに魔法少女アニメのエンディングなんかいな。大人(べつに「おたく」系のひとに限らず)が聴いても苦笑することしきりの曲である。これはニンジン二本持って踊るしかないな、うん。
「だめよ!だめよ!だめよ!!」も「調子にのっておりました」も、歌詞をちょっと変えると私のことを言われているようで、なかなか痛切なものがあったりするんだが。
ところで、「調子にのっておりました」の歌詞に関してコメントをひとこと――。
真夜中の12時で何もかも消されたとしても、そのあとにやってくるのは何もない明日ではない。
借金とか、税金とか、そういうものは真夜中の12時を過ぎてもちゃあんと残っていたりするのだ。
そういえば、税務署はどうやら同人誌を本気で課税の対象とするつもりであるらしい。同人誌を作っているみなさんはご留意のほどを。
調子にのって書いているとまた長くなってしまった。でもちっとは「雑記」らしくなったような気が、しない、でも、ない。それじゃ。
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