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【「処士横議」バックナンバー】

寒中お見舞い

―1997年1月26日―



 『徒然草』55段に「家の作りやうは、夏をむねとすべし」という段がある。「家の造りは夏のことをおもに考えたものがよい。冬はどんなところでも住める。暑い時期によくないところに住むことは、耐えがたいことだ」というような趣旨だ。

 日本の家の作りかたを語るのにこの一節が引用されているのをときどき見かける。しかし、この一節を日本の伝統のようにいうのはおかしいのではないかと個人的には思っている。

 鎌倉時代には衣服は基本としてすべて麻だった。木綿が日本に定着するのはずっとあとの時代である。永原慶二氏の『新・木綿以前のこと』によれば、貴族はともかく、それ以外の庶民は、麻の服を重ねて着るしか冬の寒さをしのぐ方法はなかったという。木綿は戦国時代の初期にすら貴重品だったのである。永原氏はマルクス主義歴史学の発想の系譜を汲み、生産力の発展とその生産様式との関係から歴史を叙述しようという態度を持っているように見受けられる研究者である。その結果として、マルクス主義的視点からする生産力の未発達な古い時代の民衆生活の悲惨さが強調される傾向はないとはいえない。しかし、古代・中世の人びとがどんな生活思想を持っていたにしても、冬に質の良くない麻の服を重ねて着て「冬はしのぎやすくていい、それにくらべて夏の暑さはたまらんなあ」などと平気で言っていられたわけがないと思う。

 『徒然草』の著者卜部兼好(吉田兼好)は貴族であり、出家後も領地を持っていた。庶民よりはずっとめぐまれた生活ができたはずである。げんに、この『徒然草』55段でも、上に引いた最初の段落の次には、つぎのような文がつづく。
 深き水は、涼しげなし。浅くて流れたる、遥かに涼し。

 これは寝殿造の貴族の建物のなかの「遣水」(人工的な流水)について言ったものだと解釈されている。このあとも本などこまかいものを読むときに邸宅の窓はどういう形のものがよいかという話がつづく。この『徒然草』55段はあくまで貴族の生活を念頭において書かれたものなのである。

 つまり、「夏の暑い建物は耐えられない、冬の寒さはどうにでもなる」という発想は、一般化できたとしてもせいぜい当時の貴族の生活感覚なのであって、庶民の生活感覚とは言えないのだ。

 『徒然草』の著者の卜部(吉田)兼好は、出家して俗世にいたということで、庶民的な感覚を持ったお坊さんだというぐらいに捉えられがちな気がする。すくなくとも私が学校の古文の授業で受けたイメージはそうだった。しかし兼好は宮廷で左兵衛佐(さひょうえのすけ)の職まで至った貴族である。ちなみに、条件がちがうのであまり安易に比較はできないが、兵衛佐は源頼朝が持っていた職でもあり、けっして貴族社会でだれでもなれるというステータスではない。

 出家者や文学者は、庶民的な生活――あるいは「庶民」以上に質素な生活を送っており、その人たちが日本の庶民的な感性の伝統を代表してきたなどという無前提な想定はやめたほうがいい。

 もちろん、貴族社会に暮らして貴族社会の枠内で与えられる文化をただ消費しつづけたような作品とちがって、貴族社会で与えられる文化の枠を超えてその発想を伸ばし、その時代の貴族社会から遠く離れた者にも共感しうる作品だからこそ、『徒然草』は古典文学作品として尊重されるのであろう。しかし、その価値を正当に評価するためにも、その文章が書かれた「文脈」をきちんと読むことが必要ではないかと思う。



 東京に移り住むまでは、私は暑い夏と寒い冬では夏のほうが苦手だった。

 それまで冬が寒くない地方に住んでいたわけではない。もちろん寒冷地帯には及ばないが、夏暑くて冬寒いということでは定評のある、兼好の住んだ京都に条件のよく似た盆地都市に住んでいた。しかも防風・防寒は十分に考慮せずに建てられ、建て増しされた、じつに風通しのいい住居だった。

 夏が苦手だったのは、私の部屋のあった場所が西の壁際で、夕方になると西日を浴びた壁が部屋の温度を押し上げつづけたということにもよる。いくら風通しをよくしても部屋自体が熱いからぜんぜん効き目がない。冬は、朝起きたときの辛さは格別だったが、暖房をきっちりして、服をちゃんと着ていれば、それほど苦痛ではなかった。窓を閉めても風通しがよいおかげで、わざわざ換気に注意しなくても暖房による部屋の空気の汚れというやつはあんまり気にならなかった。

 ところがいまでは夏の暑さのほうがまだましだと思うようになった。ともかく狭い家に住んでいると、冬は、服とかコートとかをいつでも着られるようにすぐに出せるところに揃えておくだけでけっこうたいへんである。その手間だけでも冬は億劫だ。しかも、夏は、ちょっと疲れたからといって床にごろ寝して眠ってしまってもカゼを引くことはあまりないが(もちろん疲労自体がカゼの温床ではあるが)、冬はそれをやるとてきめんにカゼをひいてしまう。東京に移り住むまでは家族といっしょに住んでいたのでそういう不摂生な生活はしなかったが、ここ数年、生活が乱れるにつれてますます冬は辛い季節になってきている。

 東京でも、数年前まで住んでいたところは湿気のひどいところだった。冬になると窓はてきめんに結露したし、その水滴が朝になってみると凍っているということもときどきあった。そのときはその冬の「じめじめ」感が非常に苦手だった。

 ところが、いまの住居に移ってからはとにかく空気が乾燥してたまらない。喉がきつくてたまらない。おかげで頻繁にカゼをひくようになった。カゼの病原体はウィルスなので、いわゆる黴菌のようにじめじめしたところが好きということはないらしい。むしろ湿度が低いほうがカゼのウィルスには適した環境であるらしく、湿度が高いほうがカゼのウィルスは死滅しやすいという。いまは、山地で季節風をさえぎられる太平洋側の冬の乾燥というのがものすごく身にこたえる。

 というようなわけで、住居の住み心地とか、季節によるしのぎやすさとかは、その住居の立地や、その人の生活のスタイルによって変わってくるのではないだろうか、という気がするのである。



 いまが寒中ということだけれど、いちばん寒い時期はむしろ立春を過ぎてからの2月前半だという話もある。「立春」というのは、「この日から春になる動きが始まる」という日だ。だから、言い換えれば、その日までは「ますます冬になっていく」過程がつづくのであって、立春にこそ「冬」が極大値をとるのだ。「立春」というのはそういう微分的概念なのである。まあそんな理屈はともかくとして、6か月ずらして夏のばあいを考えてみると8月の前半はものすごく暑いわけだから、2月がめちゃくちゃに寒くても当然、ということも言えるかも知れない。

 A香港型ウィルスが暴威をふるっているという話です。風邪には十分にご注意ください。

 それじゃ。




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