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【「処士横議」バックナンバー】

「有明」の別れ

―1996年12月28日―



 今年、何人かの友人が「この世界」を去った。

 「この世界」というのは、私がWWFの一員としてここしばらく参加させていただいているコミック・マーケットの世界のことだ。私がコミケに参加したのは1994年からで、わりと高い年齢からの参加者と言えるのではないかと思う。そのころからコミケの会場であいさつを交わしていた何人かの友人たちが、コミケから去っていってしまった。

 もちろんなかには事情があって参加しつづけたいのに不本意ながらコミケに来ることができないという友人もいる。なにしろコミケだ。参加するだけでスケジュールを調整しなければいけないし、それに、夏の暑い盛りか冬の本格的な寒さの季節に人混みのなかで一日とか二日とか過ごすわけだから体力も要求される。

 私が言っているのはそういう人たちのことではない。

 「コミケにはこんな本しかない」・「同人誌づくりに興味がなくなった」といって、いわばコミケを見限ってコミケを去っていった友人たちのことである。

 私は正直なところコミケで売られている同人誌の趨勢というものをよく把握していない。自分の関心のあるサークルや分野を特定してその売り場しか回らないから、今回は○○関係のサークルが減ったとか、××本のあたりはよく混むとか、売り場の面積や混みぐあいにかかわること以外はよくわからないのだ。しかも会場がビッグサイトになって東会場−西会場間の往来がめんどうになってからはよけいに移動するのが億劫になってしまった。だから「コミケには△△な本しかない」と言われても「あ、そうなの?」としか私には言えない。

 ただ、コミケを見限っていく人たちに私から言いたいのは、コミケに「△△な本」しかないのだったら、自分で自分の求めるような本を作ればいいんじゃないか、ということである。とくに自分でサークルに参加していたような人ならば、自分で自分の求める本を作るスキルはある程度はあるんじゃないかと思う。

 どうもコミケを見限る人に限らず、「この世界」に住み着いている人たちと話をしていると、その人たちが「同人誌ではこういうことをやるものだ」とか「こういうことは同人誌でやることではない」とかいうことをあまりに無邪気に信じこんでしまっているのに気づくことがときどきある。

 もちろん、「この同人誌ではこういうことをやる」とか「この同人誌ではこういうことはやらない」という、それぞれの同人誌のポリシーとか方針とか「色」とか、そういうものは大いにあってよい。ただ、「同人誌」全般について、「同人誌とはこういうものだ」ということを決めつけてしまって、そうでない同人誌はあり得ないというような思いこみにとらわれている人があまりに多いんじゃないかと感じるのだ。べつにそれは思想信条の自由だから私がとやかく言うことではない。しかし、何か自分が表現したいことを持っているのに、「コミケで売られる同人誌なんてこんなもんだ」という思いこみからコミケを去ってしまうのは、もったいない気がするのである。

 現実のコミケが私が理念として持っているものとかならずしも合致していないことは承知している。だが、私は、理念としては、コミケの場を言論や表現の場として理想的な場なのではないかと思っているのである。自分の責任で自分の好きなように本を作り、自分の責任で売る。金銭的に損をしてもいいから自分の書いたものを読んでもらうのか、金銭的にもとがとれる以上の冒険はやらないことにするのか、そういったこともそれぞれの責任で自由に決める。たのしく読んでもらうことをめざすのか、それとも自分の言いたいことを正確に伝えるために読んでもらうのか、そういう編集方針もサークルそれぞれの責任で自由に決める。私はコミケにそういう言論の場を求めてコミケに参加してきたし、これからも参加していくつもりだ。

 たしかに、現実にコミケで売られている同人誌にはある傾向があるだろう。現実のコミケで売っているものに対して「同人誌なんてだいたいこんなものか」という感想を抱くことは十分にある。私だってある種の感想は持っている。だが、コミケという場では、多数派に合わせる必要なんてちっともないのである。自由に自分の表現したいことを表現したり、同人誌や同人ソフトで自分のやってみたい実験をやってみたりすることをだれも止めはしないのだ。商業メディアでは、商業メディアと市場との関連などの理由からやりにくいことを、コミケでは、そういう考慮なしに「市場」と生身で向き合いながら試すことができる。コミケはそういう表現の場としてもっと活用しな伽行けないんじゃないかとすら思う。

 そういう場から、「同人誌なんてしょせんこんなものだ」という思いこみから、表現したいことを持っている人が去っていくのは寂しいなぁと思う年の瀬であったりする。




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