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空談寸評

『ワンダーモモ』

アーケードゲーム、ナムコ



へーげる奥田



 評論を書く場合、私は原則としてどちらかといえば客観性を重視してきた。作品に対する個人的な体験や感想は、少なくとも表層的には排除して論じたつもりである。その点から言ってこの寸評は方法が180度異なる。個人的体験や思い入れ何でもアリである。この作品などはむしろそういうスタンスでなければ語れない作品だ。

 しかし、いい時代になったものである。あのゲームを家庭のゲーム機で再現できる日が来ようとは、当時からすればまさに夢である。1997年11月、プレイステーションで『ナムコミュージアム アンコール』が発売された。この中にこの『ワンダーモモ』が収録されている。かつて一度、「PCエンジン」のソフトとして移植されたことがあるが、このときの出来はお世辞にもいいとは言い難かった。今回の移植はほぼ完璧にアーケード版を再現している。

 時は1987年、今からちょうど10年前である。当時WWFはゲーム魔「あべし」が主要メンバーをつとめ、実にしばしばゲームをやっていた。すでに社会人となっていた私も、学生時代の習慣そのまま、彼につきあってよくゲームセンターに通ったものだ。

 普通のゲームの場合「デモ画面」では音声が入らないのが普通だが、この『ワンダーモモ』はなぜか音声が入っていて、甲高い女の子の声が聞こえると、その店にはこのゲームが置いてあるとわかった。当時はなかなか人気があって、人の集まる大きな店ではプレイするのに少し待たなくてはならなかった。

 惑星「ロリコット」から地球の平和を守るためやってきた正義の美少女ワンダーモモ。なんというかアタマの痛くなる話だ。だいたいこんな設定はずいぶん後になって何かの資料で読んだもので、ゲームをやっていた当時はそんなことはぜんぜん知らなかった。1982年の『ミンキーモモ』から数年にわたるスタジオぴえろの魔法少女シリーズの流行が前提にあるのだろうが、どちらにしてもあやしげな設定である。この手の設定は先んじたゲームのいくつかにも見られたが、この『ワンダーモモ』は若干奇妙な構成をとっている。ゲームを開始すると「劇場」の幕が上がり、登場する怪人も設定もすべて劇中劇のキャラクターとしてゲームが展開するのだ。

 現代のゲームと違って操作は結構難しく、ハイレベルのステージをクリアするにはかなりスキルを上げる必要がある。各ステージの敵キャラの出現位置、場の流れ、パワーアップアイテムの位置等熟知していなければならない。客席からパンチラ写真を狙うカメラ小僧にも油断できない。いったい何人のプレイヤーがあの修羅場をくぐり抜け、エンディングを見ることができたことだろう。私は結局最終ステージをクリアできず、相棒の「あべし」のおかげでめでたく「カーテンコール」に立ち会うことができたのである。

 現在のように各種ムックやパソコンネットワークなどにより情報が迅速に伝播する時代と違い、ゲームの設定など細かな資料はなかなか入手できなかった。『ワンダーモモ』のゲーム中にかかるバックミュージックにはちゃんと歌詞がついていることも、後になって人から聞き知った。後にナムコからCDが出たが、それはこの作品の劇中劇としてのストーリーを見事に歌った名作だ。この曲を最初にコミックマーケットの会場で聞かせてもらった時の驚きは忘れることができない。このゲームにこんな恐るべきストーリーが内在しているとは誰ひとり予想だにしなかったであろう。

 余談だが、桜玉吉の漫画『しあわせのかたち』では、べるの扮する「ワンダーオオ」がパロディとして登場する。「裏押井組」とも噂されたスタッフによってオリジナルビデオアニメ化されたが、それはまた別の機会の講釈にて。




1997/11


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