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空談寸評

『プリンセスメーカー2』

育成シミュレーションゲーム(パソコン)、ガイナックス



へーげる奥田


 またまたことわっておくが、この寸評もいま編集しているWWFNo.17用に書いたものなのである。ガイナックス特集なんだからしょうがないではないか。「1ページに入る尺」というのは、29字×35行で1,015字(題字分除く)ということだ。1,000字というのは結構短い。小学校のとき400字づめの原稿用紙であれだけ苦労していたのがウソみたいである。それに、1行の狂いもなく書かなくてはならないという制約は、題材の使い方なんかもずいぶん難しくしてしまう。なんか高校時代のブカツ(新聞部みたいなもんだったのだ)を思い出してしまうなあ。字数制限なんかなんも考えずに好き勝手が書けるウェブページはその点非常にラクだったりする。以上、能書きでした。



 コンピュータの世界にパソコンから入った人ならば、ゲームというものがパソコンに接する際の大きな動機になるだろうが、私の場合はそうではなかった。もともと大型汎用とかワークステーションとかをシゴトでさわってきたものだから、ゲームをやって楽しむという考えになかなか実感がわかなかった。じっさい当時のパソコンゲームというのはロクなものがなく、アーケードゲームとはくらべるべくもない。マニアの連中とかを見るにつけ、よくまああんなヘッポコなものをやって喜べるなと感心したものだ。

 夕方やりはじめたゲームを夜通し朝までやり続けたというのはこの『プリンセスメーカー2』が初めてである。当時私のパソコンには20メガのハードディスクしかなく、試しにインストールしてみただけのはずだった。結局消すことができず、おかげで新しいパソコンを購入するはめになった。買ったら買ったで、PCMで音が出るものだからやたらと感動したものだ。

 何年か後になって、パソコン通信の会議室などでかまびすしく「意見の交換」をやっているのを見た。どれも俺よりハマり度が低いわいなどとと思ったが、同時になんとなくもの寂しくなったことを記憶している。人間は育てるという行為には格別の思い入れを抱くものだ。まして子どもとなると、脳の「身内判別ニューロン」が接続されてしまったらしく、なんだかいやに情が移ってしまう。ゲームとはいえ同じ体験を他人の口から聞きたくないというのがそのときの感情の正体だったらしい。

 いまや攻略本抜きにしてゲームを語れないという状況だが、このゲームに関して言えば攻略本などを買ったのはずいぶん後になってからである。不透明な世界が主人公の少女の目を通して透明化してゆくプロセスの感覚を損ないたくなかったこともあるが、なにより数値の高低や、珍しい職業をいくつクリアしたといったものの見方がなんとなく嫌だったのだ。愛犬家とブリーダーのまなざしの違い、などといっては「娘」に失礼だろうか。

 のちに声の出るバージョンなどが出たが、まったくの無音で夜通しマウスを操った感覚は忘れがたい。もっとも、ウィンドウズ版のほうがバランスがシビアのようでやりがいがある。

 「育てゲー」というジャンルはこのあと確立してゆくことになるのだが、このゲームの秀逸さはゲーム史に大きく残るものに相違ない。




1997/06


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